福島県会津若松市長・室井照平
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事・小田理恵子
2025/01/29 非常時の底力が切り開いた、革新的なまちづくり~室井照平・福島県会津若松市長インタビュー(1)~
2025/01/30 非常時の底力が切り開いた、革新的なまちづくり~室井照平・福島県会津若松市長インタビュー(2)~
2025/02/04 産学官の「共助」で築く、会津のスマートシティ~室井照平・福島県会津若松市長インタビュー(3)~
2025/02/06 産学官の「共助」で築く、会津のスマートシティ~室井照平・福島県会津若松市長インタビュー(4)~
福島県会津地方の中心都市として知られる人口約11万人の会津若松市。同市はスマートシティの先進地として、ICT(情報通信技術)を活用した数々の取り組みを2013年から本格的に展開しています。
自治体DX(デジタルトランスフォーメーション)が広がりを見せたのは2018年ごろですが、それよりも前に、なぜ同市がICT活用に着目し実装にまで至ったのか。
11年8月に就任し、スマートシティによる「三方よし」のまちづくりを推進する室井照平市長に、取り組みの背景を伺いました。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)
スマートシティ推進の背景
小田 会津若松市はスマートシティの先進自治体として、全国的にも注目されていますが、室井市長がそうしたまちづくりを推進された経緯をお聞かせいただけますでしょうか。
室井市長 私が市長に就任したのは11年8月で、東日本大震災の直後でした。会津若松市は物理的な被害はほとんどありませんでしたが、風評被害は大きく、また、同県大熊町などから多くの避難者を受け入れている状態でした。
そんな中、持続可能なまちづくりのためには、観光や農業、製造業など既存の産業に加えて、新たな柱となるものが必要だと感じました。 そこでまちの資源に着目してみたところ、コンピュータ理工学の単科大学である会津大(注)と、震災を契機として、地域の復興を図るため、本市に拠点を設けていただいたアクセンチュア株式会社(以下、アクセンチュア)の存在がありました。
これらICT活用が推進できる環境を生かして、新たな雇用創出や企業集積を図り、まちの活性化と地域振興につなげられると考えたのです。
(注)会津大:日本初のコンピュータ専門大学として1993年創立。コンピュータ理工学に特化し、英語教育とプログラミング教育に力を入れている。
小田 震災後の混乱の中で、さまざまな産業基盤を持つ会津若松市ならではの強みを生かそうとされたわけですね。まずはどのような展開を構想されたのでしょうか。
室井市長 震災直後、避難を余儀なくされた住民の皆さんが日本中に散らばっている状況で、どこに誰が住んでいるのかを把握し、適切な支援を届けることが急務でした。そこでアクセンチュアのアドバイスを参考に、独自にデジタル地図システムを導入しました。
これにより大熊町と会津若松市の住民の居住地情報を効率的に管理できるようになり、新しいコミュニケーションサービス「あいべあ」も開発しました。従来は紙の住宅地図の更新だけでも市役所全体で多額の費用を要していましたが、補助事業を活用したデジタル化により、効率的な情報管理が実現できました。
小田 新しい取り組みを進めるに当たって、職員の方々の意識改革も必要だったのではないでしょうか。
室井市長 震災後の非常時という状況が、組織を大きく変えるきっかけとなりました。風評被害により、首都圏のスーパーの店頭から会津の農産物や食料品が姿を消すという現実に直面し、職員たちにも強い危機感が生まれていました。この状況を何とか打開しようと必死に取り組む中で、平時では実現できないような大胆な施策にチャレンジしようという機運が高まりました。
市には会津大や、かつて国内大手IT企業が立地していたこともあり、組織の中にもICTへの意欲を持った職員が多く、やる気があったことも大きな要因の一つです。さらに国からの支援もあったことから、ならば実行しようという前向きな判断ができました。被災地に近い自治体として、地域を支えなければならないという使命感も、職員の意識を変える大きな要因になったと考えています。
小田 危機感が組織を変えるきっかけになったというお話が印象的です。室井市長がリーダーシップを発揮する上で、特に意識された点はありますでしょうか。
室井市長 最も重視したのは、私の思いを組織全体に伝えることでした。職員一人ひとりが「やりたい」「やらなければならない」という意識を持ってくれたことは、私が示した方向性が確実に伝わった証しだと考えています。
アクセンチュアを皮切りに、多くの企業が会津若松市に進出し、さまざまな事業が生まれました。それらが「スマートシティ」という大きな柱として根付いていったのは、非常時という状況下で、職員全員が「頑張らなければならない」という強い思いを共有できたからこそだと考えています。
危機を転機に変える
小田 先ほどスマートシティ推進の背景に、東日本大震災という非常時があったことを伺いました。会津には歴史的にも、危機を転機に変えてきた歴史があるとお聞きしています。
室井市長 会津は戊辰戦争で大きな困難に直面しましたが、その経験から数多くの優れた人材を輩出してきました。
例えば柴五郎(旧陸軍大将)は、北京の紫禁城(東南の公使館区域)で外国人と共に立て籠もって人々を守り抜き、後に日英同盟の締結につながりました。
また、山川健次郎(元会津藩・白虎隊士)は戊辰戦争後に米国へ留学し、日本人初の物理学教授となりました。その後、東京帝国大総長を2度務めたほか、京都帝国大総長、九州帝国大総長を歴任し、現在の九州工業大の前身となる明治専門学校では、初代総長を務めました。
小田 そうした危機の中で優れた人材が生まれた背景には、どのような精神性があったのでしょうか。
室井市長 平時ではない状況下で、こうした傑出した人材が生まれたのは偶然ではありません。先人たちは幕末の時代、オランダ語や英語を学び、完璧とは言えなくとも、試行錯誤を重ねながら新しい知識や技術を吸収していきました。非常時というのは、人間の持つ底力を引き出すものなのかもしれません。
小田 これは現代の自治体運営にも通じる教訓がありそうですね。
室井市長 その通りです。例え話として「茹でガエル」という言葉があります。水温が徐々に上がっていくのに気付かないまま危機的状況を迎えてしまうことを指しますが、自治体運営も同様です。常に新しい刺激を受け続け、平時からの危機感と改革への意志を持ち続けることが重要だと考えています。
(第2回に続く)
※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年12月9日号
【プロフィール】
室井 照平(むろい・しょうへい)
1955年生まれ、会津若松市出身。東北大経済学部経営学科卒。
99年から会津若松市議会議員2期、2006年から県議会議員1期を務める。
11年8月に会津若松市長に就任し、現在は4期目。