何よりも「人の幸せ」を最優先に~片岡聡一・岡山県総社市長インタビュー(3)~

岡山県総社市長 片岡聡一
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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第1回第2回に引き続き、岡山県総社市の片岡聡一市長のインタビューをお届けします。今回は、同市が取り組む「大規模災害時のプッシュ型支援」を中心に伺います。

緊急性の高い課題に対し、いかなる判断で対処するか。組織を力強くけん引する一方で、住民一人ひとりと寄り添う姿勢を欠かさない、緩急自在のリーダーシップを感じていただければと思います。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

西日本豪雨災害時の対応

小田 片岡市長は、橋本龍太郎元首相の秘書時代に阪神大震災の現場対応に携わった経験から、災害対策のエキスパートでもあります。2018年7月の西日本豪雨災害の際には、その迅速な対応が話題となりました。災害対策本部では当時、どのような指揮を執られたのでしょうか?

片岡市長 災害対策本部では、強烈なリーダーシップを発揮しなければならないタイミングがあります。それは指揮・命令系統が複数化しそうなときです。

災害時は自衛隊や他自治体からの応援職員ら、外部組織の方たちが対策本部に入って来ます。そうすると人事権も含め、その方たちが首長を通さずに指示を出す場合があります。このように指揮・命令系統が二つも三つもあると、本部内が混乱します。これは被災者の安全に大きな影響を及ぼします。ですから、はっきりと「ここの指揮は私が執る」と申し上げなければなりません。

西日本豪雨災害のとき、私は外部組織の方に向かって「ここはあなたが指揮を執る場ではない」と声を荒らげることがありました。もちろん、複数化しそうだった指揮・命令系統を整えるためです。この様子がメディアで報道されたため、一時期は「暴君市長」と呼ばれることもありました。

 

小田 檄を飛ばしてでも「今やらなければならないこと」を行ったのですね。片岡市長の状況判断力と胆力に頭が下がります。指揮を執る上で迷いはありませんでしたか?

片岡市長 迷うことはほとんどありませんでした。私は豪雨直後の18年7月7日の時点で、約50日後の8月25日を仮設住宅の入居開始日にすると決めました。そこから逆算して避難所の運営期間やがれきの撤去作業、支援金の準備などに関する計画を立てました。8月25日という目標は絶対にぶらさず、どれも前倒しを意識して進めました。

 

小田 明確なゴール像があったから、迷いは生じなかったということですね。

片岡市長 岡山県では18年7月6日に大雨特別警報が発令され、3水系10河川で決壊と浸水が発生しました。総社市の河川も計測不能になるほど、観測史上で最高の水位となりました。被害は甚大で、死者が12人、床上・床下浸水は約1500世帯に及びました。

このような状況において、最も重視しなければならないのは「住む場所の確保」です。被災された住民が落ち着いて暮らせる場所を一刻も早く提供しなければなりません。そのイメージが私の中にはありました。災害対策の現場では、こうした「完成予想図」が必要です。それがなければ混乱が生じます。

 

小田 「完成予想図」は職員にも示したのですか?

片岡市長 あまり意識して伝えることはしませんでしたが、代わりに「今、何に集中する期間か」ということを示しました。例えば「避難所の環境向上強化期間」「仮設住宅建設強化期間」「移住用アパートの確保強化期間」というふうにです。

 

小田 何をすればよいかが明確になれば、職員の迷いもなくなりますね。

 

プッシュ型支援で条例制定

小田 総社市は13年12月に「大規模災害被災地支援に関する条例」を施行しました。これは大規模災害が起こった他自治体に対し、市長判断で自主的に支援できるというものです(写真)。被災自治体からの要請を待たずに支援を開始する「プッシュ型支援」を条例で定めたわけですが、その背景にはどんな事情があったのでしょうか?

片岡市長 大規模災害の発生直後はライフラインが寸断されます。そして、各家庭や自治体が備蓄している物資は数日で尽きてしまうことが多いのです。命を守るためには一刻の猶予もありません。災害支援にスピード感がなければ被災者はどんどん疲弊し、立ち上がる気力を失っていきます。

私は経験上、被災自治体や国の要請を待ってから動くのでは遅過ぎる場合があることをよく理解しています。ですから、有事の際にはプッシュ型支援を行うという立場を取っています。

条例を定めた理由は、総社市の税金を他自治体の災害支援に使うことに対し、合理性を持たせるためです。毎年約1000万円を予算に組み込み、公費で災害支援ができるようにしています。

 

写真 他自治体への支援は市のウェブサイトで公表されている(出典:総社市サイト)

 

小田 災害対策のエキスパートならではの体制づくりですね。

片岡市長 実は、プッシュ型支援は条例制定前から行っています。総社市は、国連登録の医療NGO「AMDA」と連携協定を結んでおり、11年3月の東日本大震災の際にはAMDAの通行手形を使い、岩手県の大槌町や釜石市に入りました。

当時、プッシュ型支援はできない決まりになっていましたが、私の行動原則は「被災者のためになるなら法律も破る」「非常時は公平・平等にこだわらない」「10秒で決断する」です。職員にもそう伝えています。責任は私が取ればよいのです。

 

小田 お話を伺えば伺うほど、片岡市長の覚悟の強さに圧倒されます。プッシュ型支援に関する他の事例も教えていただけますか?

片岡市長 16年4月の熊本地震では、熊本県益城町へ支援に行きました。現場では余震を恐れた多くの方が車中泊をしており、エコノミークラス症候群で体調を崩していました。そこで登山家の野口健さんと協力してテント村を開設し、計600人ほどを約1カ月間、収容しました。

もちろん「誰を収容するのか」という公平性についての意見はありましたが、被災者の健康を考えると、ゆっくり検討している時間はありません。地元自治体を説得し、テント村の開設に踏み切りました。

17年7月の九州北部豪雨では、水や栄養ドリンク、カップラーメン、おむつといった必需性の高い支援物資を携えて福岡県朝倉市に入りました。他にも新潟県糸魚川市の大規模火災(16年12月)、ブラジル・リオデジャネイロの大洪水、フィリピン・セブ島の台風災害のときに職員を派遣しました。現在は国内に限っていますが、これまではあらゆる地域に自主的に向かいました。

 

小田 それだけ多くの災害現場を目の当たりにすると、気付きを得ることも多いのではないでしょうか?

片岡市長 大きな気付きは二つあります。一つは、災害対策本部では首長が強力なリーダーシップを発揮しなければならないということです。これは冒頭の話につながります。

首長が外部組織に大事な判断を委ねたり、迷って伺いを立てるような様子を見せたりする場面を目にしたことがありますが、それでは指揮・命令系統が混乱します。有事の際は通常よりも組織のベクトルを合わせる必要があります。それは首長の役目です。

もう一つは、支援物資を送る側と受け取る側の双方に、力量と愛が必要だということです。よく耳にするのが、被災地の需要にマッチしない支援物資が送られてきたことで仕分けや処分に苦労するという話や、そもそも需要に合う物資しか受け取らないという話です。

このように、せっかくの善意が生かされないのは残念でなりません。支援物資を円滑に輸送する仕組みは改善されつつありますが、受け取る側の心の広さも養う必要があると思います。

それを体現しようと、総社市は西日本豪雨災害の際、すべての支援物資を受け入れました。古着や食器、子どもの玩具など、さまざまな物が送られてきましたが、ボランティアの方たちがすべて整理して磨き、フリーマーケット方式で被災者に提供しました。

 

第4回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年5月22日号

 


【プロフィール】

岡山県総社市長・片岡 聡一(かたおか そういち)

1959年、岡山県総社市生まれ。青山学院大法卒。84年橋本龍太郎事務所に入り、首相公設第一秘書、行政改革・沖縄北方担当相秘書官を務める。2007年総社市長に就任し、現在4期目。

 

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