将来のまちに対する責任と覚悟~仲田一彦・兵庫県三木市長インタビュー(1)~

兵庫県三木市長・仲田一彦
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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兵庫県の南東部に位置する人口約7万4000人の三木市は、古くから金物産業が発達し、酒米・山田錦の生産も盛んです。加えて、西日本一のゴルフ場数を誇ることから「金物と酒米とゴルフのまち」と呼ばれています。

2017年に就任した仲田一彦市長は、まちが持つ資源を最大限に活用しながら、防災と観光を組み合わせた「防災ツーリズム」、子どもの貧困対策、企業連携などにも目を向け、バランスの良い市政運営を展開してきました。

昨今はエポックメーキングな政策が注目されがちですが、本インタビューでは仲田市長の「将来のまちのために必要なことを着実に行う姿勢」を感じ取っていただければと思います。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

情報のオープン性と部課の横連携

小田 仲田市長は就任以来、「誇りを持って暮らせるまち」を市政のテーマに掲げています。特に地域資源を活用したまちづくりでは、三木金物に酒米・山田錦、ゴルフと1〜3次産業の振興に幅広く取り組んでいます。

仲田市長 先人から受け継いだ地域資源をフル活用し、産業振興を進めています。ないものねだりではなく、あるものを活用する考えです。三木は酒米の生育に適した土壌があります。それを生かして山田錦の生産に注力し、1988年度には生産量が日本一になりました

。三木金物の発祥は豊臣秀吉の時代にさかのぼります。当時、三木城を復元するために全国から大工職人や鍛冶職人が集まりました。そこで金物製品の製造技術が磨かれ、今に至ります。ゴルフについても、ゴルフ場の数が西日本で最も多いことを強みとして、観光やレジャーの目玉にしてきました。

 

小田 そうした取り組みは担当部署がそれぞれ実施し、縦割りになることがよくあります。三木市の場合は「山田錦振興プロジェクト・北播磨農と食の祭典」と「三木金物まつり」(写真1)を同じ時期(2023年11月4、5日)に市内で開催するなど、部課の垣根を越えて連携しているように見えます。これは仲田市長のマネジメントによるものだと思いますが、日ごろから横の連携を意識しているのですか?

仲田市長 情報のオープン性と横連携を意識しています。月に2回開く幹部会では各部長から参加者全員へ、それぞれの部の取り組みについて情報共有が行われます。課の取り組みに関しても報告書や企画書という形で提出してもらい、職員全員が閲覧できるようにしています。このように、違う部署の情報を自ら取りに行ける仕組みを採用しているため、横連携につながりやすいのだと思います。

 

毎回約16万人が来場する「三木金物まつり」の様子(出典:三木金物まつりウェブサイト))

 

小田 部課が横連携した事例は、他にどんなものがありますか?

仲田市長 例えばコロナ禍でワクチン接種会場の設置が必要になったときのことです。早急に対応するため、学校の跡地にプレハブを建てることになりました。これを担当するのは建築部局ですが、当初は「福祉部局から何も連絡がない」という理由で進みませんでした。そこで横連携の意識付けを行ったところ、建築部局の職員が福祉部局へ自ら提案しに行くなど、能動的に動く職員が増えてきました。

私は幹部会などで「あなたが市長だったら、どうするかという視点で物事を考えてほしい」と伝えています。頻繁に伝えるようにしていたので、だんだんと浸透してきたのではないかと考えています。

 

小田 市政を「自分ごと」として捉えるよう、働き掛けているのですね。先ほどの情報共有の仕組みもそうですが、風通しの良い組織づくりに注力しているのだと推察します。一方で風通しが良くなった分、さまざまな提案や課題が上がってくるのではないでしょうか。仲田市長の中で、それらを取捨選択する基準はありますか?

仲田市長 提案や課題が上がってくること自体が大切だと思っています。職員の皆さんには自らが考えた意見をどんどん出していただきたいです。それらを受け付けて評価するため、職員提案制度を設けています。私と副市長、教育長がオブザーバーで、部課長が審査員です。制度を利用して上がってきた職員の提案を審査し、現実的に実行可能なものは採用しています。

 

小田 それは職員のスキルアップにつながりますね。最近はどんな提案が採用されたのですか?

仲田市長 まだ実行には至っていませんが、「金物サミット」という提案がありました。三木金物をはじめ、あらゆる地域の大工道具や匠の技術を集め、PRしていこうという案です。多くの産地が抱える後継者や技術継承の課題にアプローチできると判断し、採用しました。これから形にしていくところです。

 

将来の市民にとってプラスか?

小田 仲田市長の施政方針を年度ごとに拝読したところ、前市長が推進していた開発案件を白紙に戻すなど、思い切った意思決定をされていました。この判断の裏にはどのような考えがあったのですか?

仲田市長 私が市長に就任してから2年弱がたった19年度の施政方針ですね。このときは三つ、大きな判断をしました。

一つ目は、山陽自動車道・三木サービスエリア(SA)北側の土地開発を白紙に戻したことです。三木SA北側の土地約58㌶に大型集客施設を誘致するという構想でしたが、民間の参入が見込めないまま、事業だけが進んでいました。加えて、土地の所有者や森林組合に対する説明も不十分でした。このまま進めては市の財政と信頼に大きな打撃を与えます。リスクが大き過ぎると判断し、計画を白紙に戻しました。

二つ目は神戸電鉄・緑が丘駅西側の土地を市が取得し、民間事業者に集合住宅を建設させる計画です。こちらも白紙に戻しました。既にある空き家や空き地の活用施策を優先すべきだという考えの下、住宅以外のニーズや事業採算性を十分に検討した上で、市が多額の費用を拠出してまで土地を購入する必要性はないと判断しました。

三つ目は民間委託が進められようとしていたごみ処理を、市が責任を持って行う方向に転換したことです。万一、事業者が撤退したり災害が起きたりした場合の事業継続性に不安があったことと、市民の皆さんへの説明が不足していたためです。

何かを判断すれば、賛成派と反対派に必ず分かれます。時には反対の声を激しく受けることもありますが、いずれの判断にも共通する基準は「将来の三木市民にとってプラスになるかどうか」です。将来のまちに対する責任と覚悟を持って判断するようにしています。

 

小田 そうした思いを持つ首長には支援者が付いてくると思います。「将来の三木市民にとってプラスになるかどうか」という判断基準は、職員も共有しているのですか?

仲田市長 職員のみならず、講演などでも市民の皆さんに「100年先のことはまだ分からないが、せめて20〜30年先を見据えたまちづくりをしていこう」と伝えています。どの地方自治体も人口減少に向き合う時代です。それに対応できるよう、市が持つ施設などは緩やかな縮小を図っていかなければなりません。一方で人口ができるだけ減らないよう、積極的なまちづくりも必要です。このバランスが重要だと考えています。

人口ができるだけ減らないようにするためには、いったん進学や就職で市を離れた方が「やはり三木で暮らしたい」と戻って来たくなるようなまちにする必要があります。そのためには教育と雇用の充実が重要だと認識しており、就任当初から市政の方針として掲げています。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年3月4日号

 


【プロフィール】

仲田 一彦(なかた・かずひこ)

 1972年生まれ。京都産業大法卒。衆院議員秘書、兵庫県議を経て、2017年同県三木市長に就任し、現在2期目。
座右の銘は「自反尽己(じはんじんこ)。」

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