すべての人が安心して自分らしく暮らせる「共生社会」の実現へ 〜松尾崇・神奈川県鎌倉市長インタビュー(1)〜

松尾崇・神奈川県鎌倉市長
(聞き手)株式会社Public dots & Company

 

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海や山などの豊かな自然と、鶴岡八幡宮を代表とする歴史的な建造物が魅力のまち、神奈川県鎌倉市。同市では、観光やレジャーの地としてのベネフィットもさることながら、近年、「住まう人のベネフィット」に着目した取り組みが盛んになっています。

住まう人のベネフィットをつくるに当たり、「共生社会」という考え方は欠かせません。年齢・性別・職業・思想・障害の有無など、市民それぞれが異なるステータスを持つ中、「すべての人が安心して自分らしく暮らすことのできるまち」を設計することが、一人ひとりの暮らしの質を高めることにつながります。

今回からは、そんな共生社会の実現に向けてまちをリードする松尾崇鎌倉市長のインタビューをお届けします。全国的にも珍しい共生社会に関する条例の施行や、官民一体となって実行した具体的取り組みについて伺いました。(聞き手=Public dots & Company:以下「PdC」)

共生社会を願うようになった原体験

PdC 今回は、主に鎌倉市の「共生社会の実現」に向けた取り組みについてインタビューしていきますが、その前に、松尾市長の生い立ちや市に対する想いの部分から伺えればと思います。

市長は鎌倉市でお生まれになって、高校生まで同市で過ごされました。そして、鎌倉市議会議員、神奈川県議会議員も経験され、現在は、自らのふるさとで市長を務めています。これは推測ですが、おそらく鎌倉市が掲げる「共生社会」のビジョンには、松尾市長の幼い頃の原体験が少なからず関係している気がします。まずは市長が幼い頃見ていた鎌倉の景色というのは、どんなものであったか教えていただけますか?

松尾市長 幼い頃は、自然との触れ合いがとても楽しかった記憶があります。家の近所に田んぼがたくさんあり、そこで毎日のようにカエルやザリガニなどの生き物を探していました。父が地域での活動に積極的だったものですから、一緒に海や川の清掃活動に行ったり、草刈りをしたりもしました。

小学生の頃はボーイスカウトに所属していて、鎌倉のハイキングコースをたくさん歩きましたね。こんなふうに、鎌倉の自然に親しみながら過ごした幼少期でした。

 

PdC そういった風景は、今でも鎌倉市内に残っているのですか?

松尾市長 住宅地になった所もあるので、景色は変わりました。ただ、今でも田んぼは市内にありますし、ザリガニもいます。

ちょうど私が鎌倉市議会議員になった時あたりに、市内のとある山の開発計画があった場所が公園になりました。その場所は、市街化区域ではありましたが、自治会の皆さんが連携して保全のための活動を行い、結果、その場所は自由に散歩をしたり、遊べたりするような場所になりました。このように私だけでなく、鎌倉に住む方の多くは、地元の自然に愛着を覚えているのだと思います。

話はまた幼少期の頃に戻るのですが、先ほどの場所を含む山林の開発問題などでまちが二分する様子を目にするたび、子供ながら胸を痛めていた記憶があります。その時思っていたことをそのまま言葉にしますと「もっとみんなで仲良くすればいいのに」とか「どうして人の悪口を言うのだろう」です。

他にも、地区同士が対立し合うような様子なども見てきましたから、なんとか一つにならないものかと思っていました。もしかすると、このあたりの体験が「共生社会」の考え方の根本にあるのかもしれません。

条例を施行するまでのプロセス

PdC 「共生社会」という言葉は、人の原体験や想いが乗っていないと単なる耳当たりのいい言葉に過ぎません。そして、そもそも「共生社会を目指そう」という議論すらも起こらないと思います。ですので、今のお話が伺えてよかったです。

鎌倉市では「鎌倉市共生社会の実現を目指す条例(以下、共生条例)」が2019年4月1日に施行されていますが、この条例を作るに至った直接的な理由や、その経緯について教えていただけますか?

松尾市長 直接的な理由と言いますか、私自身の個人的な想いにはなりますが、津久井やまゆり園の事件(2016年7月26日に発生。神奈川県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件)には大きな衝撃を受けました。あの時には福祉施設の現場における厳しさをひしひしと感じましたし、いわゆる優生思想についても胸を痛めました。

それともう一つ、2017年に鎌倉市長選挙に出馬した際、市内の福祉関係の方たちが「共生社会を共に目指そう」ということで、政策や理念を一緒に考えてくださいました。

結果、私は「多様性を敬い、共に生きるまち」や「自助互助共助が高まり市民が安全安心に暮らせるまち」などのマニフェストを掲げて選挙に臨んだのですが、そういった「共生について真剣に考える」という場があったからこそ、条例にまで結び付いた気がします。

 

鎌倉市共生条例

共生条例の前文(出典:鎌倉市Webサイト)

 

PdC 共生について条例化するケースは、全国的にも珍しいと思います。この条例を作る上で、最も意識したことは何でしたか?

松尾市長 やはり、人に対するイメージを固定化しないということです。例えば、「障害者だからかわいそう」など、ある意味固まったと言いますか、一方向からしか人を見ないケースがあるじゃないですか。すると、どうしても対立が生まれてしまいます。

そうではなくて、人同士が互いに多面的な見方をして、お互いをより良く知ることができれば、いつの間にか対立はなくなるのではないかと思っています。この考えは条例を作る上でも、個人的な価値観としても、とても大切にしてきました。

 

PdC 今のような想いの部分は、どのように職員や市民の皆さま、あるいは議会に伝えているのですか?条例というのは、ある程度フォーマット化している部分があります。ですから短い文字だけで見ると、作ったプロセスまでは伝わり切らない気がするのですが。何か工夫されていることはありますか?

松尾市長 共生条例を作る裏側のプロセスをもう少しお話ししますと、委員会(鎌倉市共生社会推進検討委員会)にてメンバーの皆さんが本気で意見をぶつけ合い、かなり熱量の高い議論が交わされました。その様子を、傍聴していた議員の方々からは「とてもいい議論をしている」との感想を頂くことができました。これで私自身も「この議論の中身と熱量自体を伝えていくことに意義がある」と思えるようになりました。

ですから、委員会で議論されてきた中で特に大事な部分は、条文を補足するような形で、議会質問の場や市民の方への説明の場で伝えています。

 

PdC 議員から「良い議論をしている」という言葉を頂けるのは、市長にとっては最高の褒め言葉ですね。

松尾市長 そうですね、そのように受け止めています。

 

PdC ちなみに、条例は素案ができてから議会に報告したのですか?

松尾市長 毎回の定例会ごとに進捗状況を説明したり、素案の段階でパブリックコメントを募集したりしながら作るプロセスを共有しました。

 

第2回に続く


【プロフィール】

松尾 崇(まつお・たかし)
神奈川県鎌倉市長

1973年9月6日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。日本大学経済学部卒業後、日本通運株式会社にて勤務。2001年、鎌倉市議会議員に初当選し、2007年には神奈川県議会議員に初当選。議員活動を通算8年行った後、2009年に鎌倉市長に就任し、現在は3期目。座右の銘は「温故知新」。

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