すべての人が安心して自分らしく暮らせる「共生社会」の実現へ 〜松尾崇・神奈川県鎌倉市長インタビュー(2)〜

松尾崇・神奈川県鎌倉市長
(聞き手)株式会社Public dots & Company

 

2021/10/13  すべての人が安心して自分らしく暮らせる「共生社会」の実現へ 〜松尾崇・神奈川県鎌倉市長インタビュー(1)〜
2021/10/15  すべての人が安心して自分らしく暮らせる「共生社会」の実現へ 〜松尾崇・神奈川県鎌倉市長インタビュー(2)〜
2021/10/19  共生社会とテクノロジーの交差点とは 〜松尾崇・神奈川県鎌倉市長インタビュー(3)〜
2021/10/22  共生社会とテクノロジーの交差点とは 〜松尾崇・神奈川県鎌倉市長インタビュー(4)〜

共生社会の実現を目指した官民一体の取り組み

PdC 前回までのお話から感じたのが、松尾市長の強さや優しさです。

今の社会はどちらかといえば立場をはっきりさせたがる傾向があります。つまり、今回の共生条例も「弱者のための条例だ」というポジションを取った方が、紆余曲折なく施行まで進んだのではないかという推測もできます。

しかし、松尾市長からは一貫して「人に対するイメージを固定化しない」姿勢が伝わってきます。この姿勢は、本当の強さや優しさがないと貫けません。だからこそ、共生条例に対して共感を頂けたのではないかと思うのですが。

松尾市長 もちろん、何かを決めなければならない局面では、一つの結論を出す必要はあります。ただし、その結論に至るまでのプロセスにおいては、二項対立ではなく、いろいろな人たちの意見が混ざり合えばいいと思っています。結論を急がないと言いますか。そういう意味での「固定化しない」という考え方です。

分かりやすい事例では、市議会内での与党と野党です。やはり傾向として、与党側の方は政策に対して前向きな意見を示してくれますが、野党側の方は、なかなか首を縦には振ってくれません。ですが、それを「与党だから」「野党だから」と単純に切り分けて対立したところで、まちにとって得られるものは少ないです。どちらの意見の中にも貴重な知恵がたくさん詰まっていて、大事だと思えます。

実は心からそう思えるようになったのは、市長3期目に入ってからなんです。1期目と2期目は、「事を穏便に済ませたい」というマインドが片隅にあり、むしろ、そんな表面的な態度が原因で対立を深めてしまったシーンもありました。そんな辛い経験から気付いたことは「皆が本気で仲良くするということは、簡単なことではない。覚悟を持つ必要がある」ということです。3期目のマニフェストには、その想いが反映されています。

 

PdC そんな経緯があってのマニフェストであり、共生条例なのですね。条例が施行されて約2年がたちますが、行政の内部や市民の皆さんとの関係性において、何か変化がありましたか?

松尾市長 一人ひとりの個性・特性・得意分野・不得意分野をお互いに尊重し、大事にしていきましょうという考え方が、だいぶ浸透してきたように感じます。

具体的には「バリアフリービーチ」が挙げられます。これは、市内の海水浴場をバリアフリー対応にしようという取り組みで、海の家を全てボードウオーク(板や敷物などでつくる〝遊歩道〟)でつないで砂浜の上を移動しやすくしたり、水陸両用の車椅子を貸し出したりして、障害を持つ方が海水浴を楽しめるようにしたものです。

この取り組みは「みんなで実現しよう」という機運がとても高まりました。実際に、ボードウオークは海の家の方々が設置してくださいましたし、ライフセーバーが障害を持つ方をサポートする介助員として活動してくださいました。「共生社会をみんなで目指す」という方向性が共有されたからこその取り組みです。

 

バリアフリービーチに設置されたボードウォーク(出典:鎌倉市)

 

PdC 共生条例という皆にとってのビジョンがあることで、加速した取り組みなのですね。

松尾市長 そうですね。ゴールのビジョンが共有できていると、「このビジョンを達成するための取り組み」という考えで政策を練り、実行に移すことができます。きちんと理由があって行う政策であれば、反発も少ないです。

水面下に潜っていた市民の声をキャッチする

PdC バリアフリービーチの事例では、実際に訪れた方からどんな声が届きましたか?

松尾市長 予想外のうれしい声を頂きました。もともとは車椅子の方に配慮しての取り組みだったのですが、ご年配の方や小さいお子さまを連れた親御さんたちにも好評でした。

「以前は砂浜に足を取られて散歩が難しかったけれど、ボードウオークのおかげで毎朝散歩ができるようになった」
「ベビーカーを押して砂浜の上を移動できるようになったから、海に来やすくなった」

などです。

バリアフリービーチが、当初想定していたよりも多くの方にとって価値ある体験になったことが分かりました。

 

PdC その「声」は、行政にとっては大きな財産になると感じました。もともとは車椅子の方のためにと実行された取り組みから、今まで可視化されていなかった市民の声もキャッチできたわけですよね。

松尾市長 そうですね。共生条例に基づく取り組みを続けることで、暮らしで感じる課題や不便が、いろいろな立場の方の視点で浮かび上がってくると感じました。そうやってキャッチできた声に対して、市としても真摯に向き合っていきたいです。

 

PdC もちろん行政側には予算や人員などの制約もあるでしょうから、市民から上がってきた全ての声に対して一気に対応することは難しいと思います。

けれども、先ほどのバリアフリービーチの事例では、共生条例があって、そこに紐づく取り組みの実行から「行政が気付かなかった市民の声」が明確になるプロセスがあります。このプロセスが市民の方にも浸透していけば、「鎌倉市は自分たちに寄り添ってくれるまち」と感じていただけるのではないでしょうか?

松尾市長 共生社会のイメージが対外的にどれほど認知されているかは分かりませんが、市内に暮らす方たちからは、提案や意見が以前よりも多く寄せられるようになりました。「鎌倉市は共生社会を目指しているのだから、こういう課題も解決していきましょう」というふうに。ですから、少しずつ「共生」が市全体の共通認識になっている実感はあります。

 

PdC 今回のインタビュー内で松尾市長がおっしゃった「皆が本気で仲良くするということは、簡単なことではない。覚悟を持つ必要がある」という言葉には、共生の本質が込められているように感じます。

世界的に多様性が認められつつある風潮ですが、根っこの方にはマジョリティーとマイノリティーの対立構造や、マイノリティーを無意識的に排斥するマインドがまだ眠っているように思います。

そんな難しい課題をクリアし、まち全体で真の共生を目指そうとする鎌倉市の取り組みには、感動を覚えました。

次回からのインタビューでは、鎌倉市がもう一つ注力している「テクノロジー活用」について、共生社会とどのように結び付いていくのかを詳しく伺います。

 

第3回に続く


【プロフィール】

松尾 崇(まつお・たかし)
神奈川県鎌倉市長

1973年9月6日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。日本大学経済学部卒業後、日本通運株式会社にて勤務。2001年、鎌倉市議会議員に初当選し、2007年には神奈川県議会議員に初当選。議員活動を通算8年行った後、2009年に鎌倉市長に就任し、現在は3期目。座右の銘は「温故知新」。

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