圧倒的なインプットが政策の土台に~柴橋正直・岐阜市長インタビュー(3)~

岐阜市長 柴橋正直
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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2023/12/28 圧倒的なインプットが政策の土台に~柴橋正直・岐阜市長インタビュー(3)~
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第1回第2回に引き続き、岐阜市の柴橋正直市長のインタビューをお届けします。これまで、柴橋市長が市政運営の基本に据える「こどもファースト」の取り組みについて伺いました。子どもを取り巻く課題解決はあらゆる社会課題の突破口になるとして、真を捉えた施策を展開している様子が非常に印象的でした。

そんな柴橋市長の視点の鋭さは、どのような経緯で生まれたのでしょうか。今回は政治家としての「土台」に着目します。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

「1507票差」を問い続けた4年間

小田 柴橋市長は民間企業勤務、衆院議員を経て岐阜市長に就任されました。市職員や市議を経験していない、いわゆる「外からやって来た首長」ですが、就任当初から市政の課題を熟知されている印象があります。

柴橋市長 私は2012年12月の衆院選で落選しました。それから約1年後の14年2月、1度目の岐阜市長選に挑戦しますが、1507票差で敗れました。その1507票とは一体、何の差だったのかと自己分析したときに、岐阜市政に対するコミットメントの差なのではないかという結論に至りました。

地域の課題を正確に捉えられていたのか。実現可能性が高い、深みのある政策を掲げられていたのか。そうした点が市民の皆さんから見て足りなかったのであろうと。ならば次はとことんやろうと思い、すぐに4年後の再挑戦を決めました。

選挙が終わった翌日から活動を始め、4年間の浪人中に1000回を超える市民の皆さんとの対話の機会を持ちました。1対1のときもあれば、1対50や100、多いときには1000人規模の集会を開きました。とことん市民の皆さんと語り合いながら、皆さんが何を求めているのか、地域にどんな課題があるのかを自分なりにつかんでいきました。4年間かけてマーケティングを行ったわけです。

 

小田 足を使って対話を重ね、より実感を伴いながら市の実情を把握していったのですね。

柴橋市長 市に関するさまざまな資料やリポートも読み込みました。市議や市職員のOBあるいは現職との対話の機会も多く持ちました。各分野の有識者とも積極的に関わりましたし、先進自治体の首長に直接アポイントを取り、視察に伺うこともありました。

そうして自分なりに調査研究を進め、政策を一定程度まとめた段階で再び市民の皆さんとの対話に臨み、いろいろなご意見や機会を頂きながらスクラップ・アンド・ビルドを繰り返していきました。

最終的にこれがベストだというところまでたどり着いたのが18年、市長選に再挑戦した年です。当時作った政策集は市長選の公約に活かされましたし、2期目の現在でも大部分は残っています。もちろん2期目の政策は、1期目に取り組んできたことを踏まえ、バージョンアップさせています。

 

小田 4年間の活動量はすさまじかったのでしょうね。

柴橋市長 足りなかった票数である「1507」という数字を毎日、自分に問い掛けながら活動しました。手を抜かず、とことんやりましたね。浪人生活があったおかげで今があります。

 

市長になった経緯は動画でも語られている(出典 :柴橋市長の公式ユーチューブ「正直チャンネル」)

 

「市民との対話」を重視

小田 衆院議員時代も精力的に活動されていたと思いますが、地域の皆さんとの向き合い方という点で何が違いましたか?

柴橋市長 国政には3年3カ月携わりましたが、やはり政党組織の一員という立場から、公務に時間を使うことが多かったと記憶しています。市役所や各種団体を通じて市民の皆さんの要望は受け取っていました。しかし本当の意味で地域と向き合い、市民の皆さんとの距離を縮めて直接コミュニケーションする機会は、浪人時代にようやくつくり出せたような気がします。

 

小田 市長となり、手応えを感じることも増えたのではないでしょうか?

柴橋市長 ダイレクトに反応がありますから、手応えは感じます。反応が返ってくるまでのスピードも速いですし。

実は市長に就任するまでの浪人時代に、市内をとことん歩くこともしました。市の一番北にある中山間地域から市街地、また東、西、南の端までと、市内で知らない所はないというくらい歩いたのです。それぞれの地域で、庭仕事をされている方にお声掛けしてお話を伺ったり、昔からお住まいの方に地域の歴史について教えていただいたりしながら、岐阜というまちに対する理解を深めていきました。そうやってまちを把握した上で練り上げた政策なので、的は射られていると思います。市民の皆さんからの反応が早いのも、その証だと考えています。

 

小田 政策を作る上で最も意識していることは何でしょうか?

柴橋市長 やはり一番は政治家として市民の皆さんと対話することです。最近も市政報告会を開いたばかりです。喫茶店で数人規模の対話をすることもあります。実は今朝も、市内の企業を訪問して経営者の方と意見交換してきました。常に対話の機会を持ち、皆さんが今、何を感じているのかを傾聴し、自分の中でアップデートしていくことを続けています(写真)。

振り返ると、4年間の浪人時代は地域の実情や課題をインプットし続ける時期でした。今の市長という仕事はそれらを政策としてアウトプットし、課題を解決することです。油断するとアウトプットし尽くしてしまうので、常にインプットとアウトプットの繰り返しが必要だと考えています。常に新しい情報がインプットされた状態であれば、そこから新しい政策が生まれてきます。ですから直近の状況を把握し続けることを日々、意識しています。

 

(写真)現在も市民との直接対話の機会を持ち続けている(出典:岐阜市)

 

小田 岐阜市ほどの規模になると、直近の状況を把握し続けるのは非常に難易度が高いように思います。

柴橋市長 政令指定都市には行政区がありますから、決裁権限は区長にも分散されます。しかし、岐阜市のように人口40万人前後の中核市の市長は、ある意味ではオールラウンダーになる必要があります。市民サービス、環境、経済産業、教育、観光、農林水産、感染症の拡大防止と、あらゆる政策の決裁が最終的に首長の下に集まります。

野球で例えるなら監督をしながらコーチにもなり、またピッチャーとして球を投げては、キャッチャーに回ってそれを受け、時にはバッターとして打席に立ちながら外野も守る、というようなイメージです。すべてを把握しておかなければ政策に強弱が出てしまいますし、判断も間違いかねません。毎日、時間との闘いですが、全方位を押さえるようにしています。

 

第4回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年11月20日号

 


【プロフィール】

岐阜市長・柴橋 正直(しばはし まさなお)

1979年生まれ。阪大文卒。UFJ銀行を経て、2009年から衆院議員を1期務める。14年2月岐阜市長選に立候補するも落選。18年2月に再挑戦して初当選。現在2期目。

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