宮城県塩竈市長・佐藤光樹
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事・小田理恵子
2024/09/25 変化に対する追い風と逆風、どちらも捉える~佐藤光樹・宮城県塩竈市長インタビュー(1)~
2024/09/26 変化に対する追い風と逆風、どちらも捉える~佐藤光樹・宮城県塩竈市長インタビュー(2)~
2024/10/01 生まれ育ったまちの未来を描く~佐藤光樹・宮城県塩竈市長インタビュー(3)~
2024/10/03 生まれ育ったまちの未来を描く~佐藤光樹・宮城県塩竈市長インタビュー(4)~
宮城県塩竈市、佐藤光樹市長のインタビュー(後編)をお届けします(写真1)。
3.11東日本大震災から8年後の2019年に、市民からの「変化の期待」を背負って就任した佐藤市長。復旧復興が優先のまちづくりから、未来の世代のためのまちづくりに次第に軸足を移す中、これまでのやり方を変えることに対する反発にも目をそらさずに向き合ってきました。
市長のスタンスは、「身体感覚を伴って得た情報で判断すること」です。住民一人ひとりに寄り添って声を聴くこと、自ら現場で状況を確認すること、これら臨場感のある情報を頼りに判断することを大切にしています。しかしながら、このスタンスを継続することは非常にタフなことでしょう。佐藤市長の行動の原動力はどこから湧いてくるのか、また、これからの市政運営に対してどのような思いを抱いているのか、本インタビューで探っていきます。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)
行動の原動力
小田 前回のインタビューで、佐藤市長は「長期政権だった前市長のイズム(流儀)を変えるのは生易しいものではない」とお話しされました。前市長と政策の方向性も違うことから、庁内マネジメントに奮闘されている様子がうかがえました。とはいえ、23年には2期目の付託を受けています。2期目に入り有権者の反応も変わってきたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
佐藤市長 2期目は無投票で当選しましたから、投票数という具体的な数字で市民の皆さんからの支持を確認できませんでした。1期目の4年間は自分なりに一生懸命走り抜けてきましたが、それが市民の皆さんの目にどう映ったのかが分からないのは残念です。数字が分かると反省にもつながるのですが、それがないため2期目は見えない目標に向かって走っているような感覚です。やはり選挙はあった方がいいと思います。
小田 対立候補がいた方が良いというお考えなのですね。
佐藤市長 人によって考え方はそれぞれだと思います。私の場合は、反対の立場の人間がいる方が良い刺激になります。独り善がりの政治にもなりにくいと思います。
小田 市議会との関係性はいかがですか?
佐藤市長 もちろん、私の考えに対して反対意見が出ることはあります。それもまた私にとっては良い刺激です。注意深く市政運営をすることができます。
とにかく任期中は200%の力でやり切るのみです。その結果に対して判断するのは市民の皆さんですから、委ねるのが一番だと思っています。
小田 お話を伺っていると、とてもストイックな印象を受けます。佐藤市長が200%の力を出すための原動力は何なのでしょうか?
佐藤市長 塩竈市が生まれ育ったまちだからです。それから、父の存在も大きいかもしれません。父は県議会議員を務めた後に市長選に3回立候補しましたが、3回とも落選しました。なぜそこまでして市長になりたかったのだろうと考えることがありましたが、私自身が市長になり、さまざまな意見を調整したり、やり方を変えたりする中で気付きました。きっと父も同じように、塩竈市がより良い未来に向かうよう内部から働き掛けたかったのだろうと。あくまで結果論にすぎませんが、そう思います。
小田 市長に就任した際はお父さまから何か言葉掛けはありましたか?
佐藤市長 その時はすでに病床に伏せていたので、言葉は交わしていません。長いこと意識がない状態が続きましたが、昨年亡くなりました。おそらく私のことが心配だから生き続けたのでしょうね。
小田 そうでしたか、お父さまに市長の思いが届いていると良いですね。
被災地の復旧復興の時間軸
小田 能登半島地震の後に「集団移住」にまつわる論争が起きました。市街地にインフラを集約して移り住んだ方が合理的だとする主張に対し、インターネット上を中心に賛否両論が巻き起こったものです。非常にデリケートな話題ですのでお答えいただける範囲で結構なのですが、これに関してどのようなお考えをお持ちですか?
佐藤市長 先に震災を体験した身からお話しすると、「生まれ育ったまちから離れたくない」という気持ちを持つ住民が大半です。東日本大震災の時も「避難のために一時的に離れるが、また戻って来る」と多くの方がおっしゃいました。しかし、当時被災した自治体の多くでは人口が、震災前の水準にまで戻っていないのが現状です。これは事実として受け止めるべきだと思います。
被災した地域のインフラを市街地に集約するか否かの話題については、地域によって実情が全く違うので二元論では語れません。復旧復興が必要な規模と、そこにかけられる予算や時間、復興後の地域住民、特に高齢者に対するフォローなど、あらゆる条件を鑑みながら総合的に判断しなければなりません。まずは当面の生活の安全を確保することが最優先ですから、住民の皆さんには一時的に他の地域に避難していただきつつも、復旧復興の時間軸や将来的に地元に戻れるかどうかの見極めについては、情報を出し続けることが重要ではないかと思います。行政の忍耐力が試されます。
小田 前回のインタビューにて佐藤市長は、東日本大震災の復旧復興に関する住民へのケアは今後も必要で、それは「一人ひとりに寄り添うことだ」とおっしゃいました。被災地に再びインフラを通すのかどうかもそれと同じで、あらゆる事実を確認しながら長期的な視点で、地域ごとの最適解を見つけていく必要があるのですね。
佐藤市長 震災が起きた地域は、その後も時間をかけて地盤の形が変わる可能性があります。塩竈市の場合は、地盤沈下した所が元に戻りつつあります。能登地域は隆起したとのことですが、これから時間の経過とともに変化するかもしれません。それは観測し続けないと分からないことです。このように動く地盤を社会資本として使えるかどうかも見極める必要があります。
住民の皆さんの心のケアも同様で、時間とともに変化する感情に合わせた適切な支援が必要です。地道に一人ずつお話を伺って、心を受け止めた上で復旧復興の施策に反映することが非常に重要だと思います。
東日本大震災は、私たちにとってとても辛い出来事でしたが、一つの大きな教訓とも言えます。私たちの経験が、能登の皆さんの今後に少しでも役立つことができればと思います。
小田 震災からの復旧復興は、ご経験された方にしか分からない部分が多々あると思います。知見の共有が急がれますね。
佐藤市長 復旧復興は、なかなか思い通りに進まないのが実情です。やはり時間がかかりますし、法律が壁になることもあります。例えば、東日本大震災の時には津波で流された車が山積みになりましたが、所有権の侵害になり得るとして最初は動かすことができませんでした。法律は必要なものではありますが、非常時には柔軟な解釈や運用が求められます。これについては国の方でも相当議論や研究が進んでいるかと思います。私たちができることは、当時行った現場対応をはじめ、復旧復興のプロセスについて事細かにお伝えしていくことだと思います。
(第4回に続く)
※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年8月19日号
【プロフィール】
佐藤 光樹(さとう・こうき)
1967年塩竈市生まれ。東北学院大経済学部経済学科卒。宮城県議会議員秘書、参議院議員公設秘書を経て、2003年から4期16年間宮城県議会議員を務める。
19年9月に塩竈市長就任。現在2期目。座右の銘は勇往邁進。