岐阜県美濃加茂市長 藤井浩人
(聞き手)Public dots & Company 代表取締役 小田理恵子
2022/08/08 市民との直接対話から始まる透明性ある市政~藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長インタビュー(1)~
2022/08/11 市民との直接対話から始まる透明性ある市政~藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長インタビュー(2)~
2022/08/15 人に向き合い、人を中心に考える~藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長インタビュー(3)~
2022/08/17 人に向き合い、人を中心に考える~藤井浩人・岐阜県美濃加茂市長インタビュー(4)~
今年1月に行われた岐阜県美濃加茂市長選で、藤井浩人氏が通算4回目の当選を果たしました。藤井氏は同市の市議を経て、2013年に28歳で市長に就任。しかし、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
1期目の任期中だった14年6月に事前収賄容疑などで逮捕、同7月に起訴され、一審では無罪判決が言い渡されたものの、二審では有罪判決。最高裁への上告も棄却され、公民権を3年間失いました。藤井氏は冤罪と主張し、再審請求しています。
そんな中で行われた今年1月の市長選は、藤井氏にとって公民権が回復してから初めての選挙でした。現職との一騎打ちとなりましたが、約2倍の得票で当選。その姿に驚かれた読者も多かったのではないでしょうか。
なぜ、これほどまで市民に信頼されているのか。今回のインタビューでは、藤井氏の本質を捉えた政治スタイルについて伺います。(聞き手=Public dots & Company 代表取締役/一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)
原点は大学院生時代の旅
小田 今回、主に深掘りしたいのは、藤井市長の人気の秘密です。1月の市長選でも市民に信頼されている様子がうかがえました。これは、ひとえに藤井市長の政治姿勢によるものではないかと考えています。これまで政治の世界に関わる中で何を大切にしてきたのか、お話しいただけますか?
藤井市長 私が政治の世界を志す原点になったのは、大学院生時代に東南アジアを数カ月間、周遊したときの体験です。当時の東南アジアは日本に比べて豊かとは言えない環境でしたが、その中で人々が生き生きと過ごし、学生や大人たちは日常会話の中で国や将来について真剣に語り合っていました。この姿を見たとき、自分自身が将来に対して無関心であることに気付かされました。
それと同時に、海外を自由に周遊できる日本のパスポートの価値や、海外での日本の評価の高さに驚きました。このとき、日本の歴史を紡いでくださった先人への感謝の思いが湧き上がるとともに、自国の価値や将来に無関心な人が多くいる日本はこの先、大丈夫だろうかと強く思いました。
この旅で、自分自身に何ができるのか、何がしたいのかを真摯に考え、行動することの大切さを学びました。また身の回りの社会や時代に対し、一人ひとりが単なる傍観者ではなく、社会や時代がどう在るべきかを考え、その中で自分がどのような存在として生きていくのか、問い続けることができる社会にしていくことが大切だと感じました。これが私の信念であり、政治活動の根底を成しています。
小田 その信念を基に市議になられ、市長にも就任したということですね?
藤井市長 26歳のとき、美濃加茂市議選に挑戦しました。当時は塾業を通じ、子どもたちに「社会の中の自分の役割を主体的に考えよう」と伝えていましたが、もっと社会全体にメッセージを発信するにはどうすればよいかと考えていたとき、子どもたちから「先生は世の中のことについて、いろいろと考えているみたいだけど、どうして政治家にはならないの」と問い掛けられました。これが政治家になろうと決意したきっかけです。
いざ当選して市議を務めると、市民の声と行政のルール作りには溝があると強く感じました。行政が住民一人ひとりと向き合えていないのではないか、という課題感です。
美濃加茂市は人口約5万7000人ほどのまちで、大型サッカースタジアムに全員が入れるくらいの規模です。その規模であれば、一人ひとりと向き合うことは不可能ではないと思いました。そこで28歳のときに市長選に出馬し、まちの代表として市民と向き合うと決めました。
小田 それからは、具体的にどんなことをされたのですか?
藤井市長 可能な限り、現場に出ることを心掛けました。高齢者が集まるサロンやいろいろなスポーツ大会など、市長室を出て積極的に交流しに行きました。
市民と関わり、市政が身近なものであると感じていただくと同時に、「私たちはルールの中で生きているだけでなく、ルールを自分たちで作り、自分たちでそれを守って、自分たちでまちの方向性を決めて活動していくんだ」ということを共有したいと思い、そのメッセージを発信し続けました。そうした矢先に逮捕されたので、辞職や出直し選挙といろいろあったのですが。
すべての情報をオープンに
小田 あの事件は私にとっても衝撃的でした。
藤井市長 まさか自分が逮捕されるとは想像もしていませんでした。今も冤罪だと訴え、再審請求を行っています。
逮捕された当時、まちの雰囲気は当然荒れました。「自分が1票を投じた人間が逮捕されるなんて」という怒りに満ちたのですが、ある時から市民の様子が変化しました。私がすべての情報をオープンにしたことが大きいと思います。
なぜ疑われているのか、どういう経緯で疑われることになったのか、警察や検察側の主張の矛盾など、逮捕から裁判の流れをすべて公開しました。一般的に、政治家が逮捕されると記者会見などを行わない風潮がありますが、私の場合は弁護士と「市長として事件に向き合う」ことを決め、すぐに情報公開に取り組みました。
私が留置されていた60日間は、弁護士が毎日のように会見してくださいましたし、保釈後はその日のうちに私も会見を行いました。インターネット交流サイト(SNS)でも絶えず情報発信し、ご意見やご質問を受け付けました。
このように、「最大限の透明性を確保する」ことを政治活動の基本スタンスとして持っていましたので、事件の際にも変えずに続けました。もちろん、すべての市民に賛同はいただけていないと思いますが、「市政が以前に比べて近くなったように感じる」とおっしゃる方は増えました。
小田 今のエピソードから、藤井市長が情報の透明性と市民一人ひとりとの直接対話を大切にしている姿勢が伝わりました。他にも市民との接点をつくる工夫はされているのですか?
藤井市長 「とびだせ市長室」を企画したことがあります。これは、政策に対する課題を市民と懇談会形式で意見交換するというものです。応募いただいた市民団体の元に私が訪問し、まちづくりに関するアイデアや困り事などを拝聴しました。
もう一つは、先ほども少しお話ししましたが、できる限りイベントや行事に参加することです。学校の運動会や卒業式といった毎年恒例のイベントでも、そこに関わる方は毎年違います。そういったところに時間がある限り、顔を出すようにし、その場その場で何が起きているのかを直接確認するようにしています。
それから、やはりSNSですね。これは情報共有における革命だと思っています。一方的な発信ではなく、相互のコミュニケーションができるので、頂いた意見にはできる限り、返事をするように心掛けています。もちろん、こちらからの発信も積極的に行います。フェイスブックの他に、ツイッターやインスタグラム、ユーチューブでの動画配信も行っています。
(第2回に続く)
【プロフィール】
岐阜県美濃加茂市長・藤井 浩人(ふじい ひろと)
1984年生まれ、岐阜県美濃加茂市出身。2010年10月、美濃加茂市議に初当選。13年6月、同市長に初当選。22年1月に通算4回目の当選を経て現職。趣味はスポーツと読書。好きな言葉は「義を見てせざるは勇なきなり」