フレンドシップから始まる多文化共生~村山俊明・群馬県大泉町長インタビュー(2)~

群馬県大泉町長・村山俊明
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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2024/05/24 誰もが互いを理解し、思いやるまちへ~村山俊明・群馬県大泉町長インタビュー(4)~

 

町の将来のために機を逃さず

小田 なぜ町長になろうと考えたのですか?

村山町長 大泉町は高度経済成長期以降に北関東工業地域の一部として企業が集積し、発展してきました。町の面積はわずか約18平方キロですが、家電や食品加工、自動車製造など100を超える製造工場が立地しています。外国人労働者が増えたのも、それが理由です。

このような特色を持つまちなので、多文化共生を推進する一方で人口や税収の減少に歯止めをかけるべく、企業誘致を積極的に進めていかなければなりません。しかし、そう簡単にできるものではなく、歴代の町長が成し得なかったことも数多くあります。私が町長に立候補したのは、まちが抱えるさまざまな課題を解決したかったからです。

 

小田 歴代の町長が成し得なかったこととは、例えばどんなことでしょうか?

村山町長 企業を誘致するための用地確保が難しかったのです。先ほども述べた通り、大泉町は面積が小さく、既に多くの住宅や工場が立地して市街地を形成しています。その中で新たに企業誘致の用地を探すと、農業振興地域農用地区域(通称「青地」)となってしまいます。

「青地」では農業の振興を図ることが目的とされ、それ以外の用途に充てることは規制されています。企業誘致の用地を確保するためには「青地」を除外する手続きが必要となりますが、それには地権者等から100%の同意を得なければなりません。地権者等の中には先祖代々の土地を守りながら農業を営む方もいらっしゃるため、交渉は容易ではありません。

最近では、SUBARUの電気自動車(EV)部品工場の進出に合わせて大規模産業団地を造成するため、地権者等との交渉に臨みました。これが実現すれば、町の経済に良い影響を与えられます。当然ながら地権者等との交渉は難航しましたが、何度も根気強く話し合いを続けた結果、100%の同意が得られました。

 

小田 相当長い時間をかけて交渉されたのではないかと思います。

村山町長 交渉期間は1年ほどで、極めて短かったです。SUBARUが27年には工場を稼働させたいと要望していたため、そのスケジュールに合わせる形で進めました。約1年の間にものすごい数の説明会や会議を開催し、地権者等の同意を得られるよう努めました。厳しい反対意見が飛び交う中、私も職員もかなりの時間と労力をかけて交渉しました。

 

小田 後ろのスケジュールが決まっていたとはいえ、1年ほどで交渉を完了させたという事例はほとんど聞いたことがありません。なぜ、やり遂げられたのでしょうか?

村山町長 町の将来を考えたとき、このチャンスを逃してはならないと思ったからです。大泉町は昭和30年代に、自衛隊と当時の三洋電機(現パナソニックホールディングス)のどちらを誘致するか、判断を迫られました。先人たちは三洋電機を選び、その後に次々と企業誘致を進めた結果、財政力指数が1.0という収支バランスの取れた自治体になりました。

現在立地しているSUBARUの工場も、町にとっては一番の基幹産業です。同社が工場を拡張させるということは、町の将来や財政に大きな影響を与えます。明暗を分けると言っても過言ではありません。ですから今のわれわれの立場がどうこうというより、町の将来のために職員と一丸となり、腹をくくって進めました。それが結果となって表れたのだと思います。

 

直接のコミュニケーションが肝心

小田 冒頭で、外国籍住民と積極的に交流しているというお話がありました。具体的なエピソードを聞かせていただけますか?

村山町長 大泉町に住む約8300人の外国人のうち、およそ半数がブラジル国籍の方々です。彼らが好むスポーツといえばサッカーですね。サッカーのワールドカップ(W杯)が開催されると、ブラジル人が集うバーなどでは夜な夜な、パブリックビューイングが行われ、お祭り騒ぎのようになります。周辺の住民から騒音やマナーに関するクレームが来る可能性がありますから、行政としては当然、注意喚起する必要があります。

ただし、外から言うだけでは十分に伝わりません。そこで私はあるとき、彼らが盛り上がっているバーに行き、一緒にサッカーの試合を観戦することにしました。すると店内にいた彼らは「大泉のボスが来たからマナーに注意しなければ」と言って、店の窓という窓に防音用の発泡スチロールを貼り付けたのです。確かにそれで騒音は和らぐでしょう。しかし今度は店の外から内部を見ることが一切できなくなりました。

その様子を警察が確認し、恐らく危険視したのでしょう。バーの周辺をパトカーが巡回するようになり、とうとう3人の警察官が店内に入って来ました。するとブラジル人の方々は「何も悪いことをしていないのに疑いをかけられている!」と怒りだしたのです。一緒にいた私は事情を説明し、「何か迷惑行為をするようであれば私が注意するから」と言って、警察官に帰ってもらいました。

事が収まると、ブラジル人の方々は私の周りにお酒や食べ物を持って集まり、「自分たちの味方をしてくれてありがとう」とお礼を言ってくれました。帰るときには皆と握手を交わすほど仲良くなりました。このように、彼らはとてもフレンドリーなのです。

 

小田 多文化共生のリアルが伝わる貴重なエピソードですね。

村山町長 肝心なのは、彼らとの直接のコミュニケーションです。多文化共生について机上でいくら考えても、全く実になりません。「お役所仕事」とやゆされて終わりです。彼らとのフレンドシップの中で、要望や困り事を聞いていくのです。こうした姿勢が土台としてあって、初めて多文化共生は前に進みます。

 

小田 今のエピソードを伺って、「机上で考えられた多文化共生は実にならない」という言葉がふに落ちました。互いの文化や価値観を認め合い、対等な関係を築くことについて、否定する人はいないでしょう。しかし「言うは易<"やす">く行うは難し」です。互いに対する先入観や、互いに当たり前だと思っている習慣のずれなどが重なると、たちまち相手を受け入れることが困難になってしまいます。村山町長はそうしたコミュニケーションの隙間を丁寧に埋めながら、外国籍住民との共生を進めてこられたのですね。

 

次回も引き続き、大泉町における多文化共生の姿を探ります。

 

第3回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年3月25日号

 


【プロフィール】

村山 俊明(むらやま・としあき)

1962年生まれ。97年5月群馬県大泉町議となり、2005年5月から07年5月まで同町議会議長を務めた。

13年5月大泉町長に就任し、現在3期目。

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