まちづくりは町民連携と総合力~ 後藤正和・前徳島県神山町長インタビュー(4)~

前徳島県神山町長・後藤正和
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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2024/07/18 まちづくりは町民連携と総合力~後藤正和・前徳島県神山町長インタビュー(4)~

 

未来を見据え、今を動かす

小田 長期にわたり町長をお務めになったからこそ見えるまちづくりの姿があると思います。お考えをお聞かせいただけますか?

後藤氏 ある程度長く首長を務めるからこそ、町全体の発展や進化が見えてくるのではないかと思います。町が変わるにはやはり時間が必要です。特に神山町の場合は、1955年に5村(阿野村、下分上山村、神領村、鬼籠野村、上分上山村)が合併してできた影響で、地域ごとに住民の意見がまるで違いました。かつ、急激な人口減少が拍車を掛け「神山はもうあかん」という空気が蔓延していました。

そこから町に対する誇りを醸成し、まちづくりへの主体的な参加を促そうとする作業は短期間ではできません。町民だけでなく、職員の考え方を変えていくのも同じです。時間がかかります。常に「より良い神山にするためには?」と投げ掛け続け、自分ごととして考えていただく必要があります。

 

小田 長期的に未来を見据えることと、目の前の相手に常に働き掛けていくこと、このバランスが重要なのですね。

後藤氏 重要ですね。特に、相手に考えていただくことです。こちらが全て考えて提案すると、相手はいつまでたっても未来思考になりません。考えて行動するという「動き」が常にあると、取り組みに楽しさが生まれます。それで何かしらの変化が見え始めたらなおさら楽しくなるでしょう。とは言え、すぐには変わりませんが、考えて行動することを地道に積み重ねることで理想の将来に近づきますよね。

 

小田 すぐには変わらないけれど、時間をかけて町が変わっていく姿は、99年から行われている「神山アーティスト・イン・レジデンス」で見ることができます。この取り組みは毎年世界各国から芸術家を招聘し、地域住民との協働による創作活動等で交流を深め、展覧会を実施するものです。

当初は外国人の芸術家に対して、町に住む高齢者が抵抗感を示していたようですが、回を重ねるごとにだんだん慣れていき、外から入って来る人や文化に対して寛容になったそうですね。町の文化や空気感が醸成されるとは、こういうことではないかと思いました。

後藤氏 そうですね。今では町の中で外国人の方を見掛けても、子どもから高齢者まで珍しがることはありません。日常に溶け込んだのだと思います。人口5000人弱の町でこのような空気感を作れているのは稀かもしれませんね。

 

まちづくりは総合力

小田 メディア等では「地方創生の聖地」と呼ばれる神山町ですが、まちづくりのモデルにした自治体はありますか?

後藤氏 私がまちづくりに興味を持ったのは随分と前で、85年ごろです。神山町議会議員になる前に、大分県大山町(2005年に日田市に編入合併)に視察に行きました。当時の大山町は、町長と農協の組合長を親子で務めており、行政と農協がタイアップして、1次産業を6次産業化していたのです。

どうやったのかと話を聞いてみると、「数年前に神山町に視察に行って、うちの町でもできると思った」と言います。神山町の狭小な土地に農作物が植わっているのを見て、こんな環境でも農業ができるのならば、大山町ではもっと進化させられると思ったそうです。それを聞いて私はショックを受けました。「やられた!」と思いましたね。

しかし、大山町からは多くの学びを得ることができました。特に、行政と産業界がうまくタッグを組んで産業振興していく様子は大変参考になりました。

 

小田 大山町とは、お互い学び合った関係性だったのですね。今の神山町の様子からも感じることですが、行政も民間も町を「自分ごと」と捉えることからまちづくりが始まりますね。

さて、この記事の読者である他の自治体の首長や職員に向けて、地方創生におけるポイントやアドバイスを頂きたいのですが。

後藤氏 自治体の規模によって状況や施策は全く違いますが、規模が小さな町村の場合は、できるだけ「町を知る」ことが大事だと思います。住民性、自治会、歴史、文化、自然、産業など、あらゆる面から町を深めることですね。まちづくりは総合力で結果が左右されますから、何を資源として持っていて、どう組み合わせたら光が当たるのかと考え続ける姿勢が必要です。

もちろん、組み合わせの数が多ければ多いほど良いです。それらを少しずつ実行に移しながら、理想の町に向けて階段を上っていくことです。そのためには、住民や職員にまちづくりの方向性を理解していただく必要があります。情報共有は丁寧に行うべきですね。

 

小田 後藤前町長のお考えは職員の方たちにも受け継がれているのではないでしょうか?

後藤氏 現在進行形の事業がたくさんありますから、町民に対する報告会などは今も丁寧に行っているようです。

地方はつながりで町ができています。歴史、文化、自然、産業など代々受け継がれてきたものもそうですし、人同士の関わりも深いです。そういったつながりの全体像を知ることから、あらゆる施策の展開に発展していくのだろうと思います。

 

小田 先ほど全国の自治体を「日本列島を形作る細胞」と例えてお話しされましたが、町村単位でも同じことが言えるかもしれません。その町を形作る要素一つ一つが輝いたり、組み合わさって強みを発揮したりすれば、町全体の活性化につながるのだろうと思います。

後藤氏 まちづくりの総合力とはそういうことです。

 

【編集後記】

神山町の人口推移を見ると1970年代は約1万3000人でしたが、徐々に減少し、2022年には5000人弱となっています。この数字だけ見ると「高齢過疎化地域」という捉え方をしてしまいますが、社会動態を見ると認識が変わります。

出典:神山町「令和3年度~7年度過疎地域持続的発展計画」より抜粋

 

神山町への移住相談数は近年急増しており、働き盛りの世代の転入数も堅調なのです。まさに、後藤前町長が冒頭におっしゃった「人口ピラミッドを底辺の広い三角形に持っていく」動きがわずかに出てきていると言えます。

「すぐには変わらないけれど、必ず生き残る」と決めた後藤前町長が行っていたのは「あるもの探し」でした。町が元来持つあらゆる資源に目を向け、総合力にして打ち出したからこそ今の神山町があります。今後も同町の発展が注目されます。

 

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年5月27日号

 


【プロフィール】

後藤前神山町長後藤 正和(ごとう・まさかず)

1950年生まれ。神山町議会議員を経て、2003年4月に同町就任。

2023年4月まで5期20年の間、町長を務めた。

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