農村型コンパクトエコタウン構想を推進~金平嘉則・前北海道沼田町長インタビュー(1)~

前北海道沼田町長 金平嘉則
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2023/02/20 農村型コンパクトエコタウン構想を推進~金平嘉則・前北海道沼田町長インタビュー(1)~
2023/02/23 農村型コンパクトエコタウン構想を推進~金平嘉則・前北海道沼田町長インタビュー(2)~
2023/02/27 組織に横串、住民と対話重ねたまちづくり~金平嘉則・前北海道沼田町長インタビュー(3)~
2023/03/02 組織に横串、住民と対話重ねたまちづくり~金平嘉則・前北海道沼田町長インタビュー(4)~

 


 

北海道のほぼ中央、空知地方の北西部に位置する沼田町は、人口が約2900人、高齢化率は約42%で、道内でも有数の豪雪地帯です。冬季には10メートルの積雪を記録することもあり、豪雪地帯対策特別措置法に基づき、町の全域が特別豪雪地帯に指定されています。

そんな同町は、2013年度から「農村型コンパクトエコタウン構想」を推進してきました。認定こども園や学校、診療所、高齢者の介護施設、スーパーマーケットといった暮らしの機能を、町の中心部であるJR石狩沼田駅周辺の半径約500メートルに集約しようというプロジェクトです。人口減少や高齢化が進む農村地域のさまざまな課題を包括的に解決する取り組みで、コンパクトシティーの模範例と言えます。

同構想を立ち上げ、これまでけん引してきた前町長の金平嘉則氏に、その意義などについて伺いました。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

きっかけは病院問題

小田 農村型コンパクトエコタウン構想を立ち上げるきっかけは何だったのでしょうか?

金平氏 病院問題でした。町で唯一の病院には入院機能が備わっていましたが、患者数や入院数の減少で赤字経営が続き、毎年2億円近く、町の財源で補填されていました。また施設の老朽化が進み、耐震性にも問題がありました。地域医療を守るためには、病院をなくすわけにはいきません。そこで無床化し、診療機能だけを残す形で新設することになりました。これを機に、町全体を設計し直すという構想が生まれました。

 

小田 最初から無床化という方向で、話が進んでいたのですか?

金平氏 いいえ、最初は有床の方向でした。その頃、私はまだ町長になっておらず、議会事務局長を務めていましたが、当時の町議会も町長も「地域医療を守るため、ベッドはなくさない」というスタンスでした。

 

小田 無床化は金平さんが町長になってから決めたのですか?

金平氏 そうです。私は議会事務局長の頃から無床化した方が良いと考えていました。今あるものをなくすという判断は、行政にとって勇気が必要ですし、住民からの反発もあります。しかし毎年、赤字という状況を見ると、それを補填する町の財政が持たなくなるでしょう。だから病院も含め、町全体の持続性を考えていく必要があると思っていました。

私は介護保険制度がスタートした年に、町役場で担当を務めていました。当時、介護に関するニーズ調査などを行っていくうちに、医療・福祉・介護の問題は将来ますます深刻になると感じ、人口減少を前提としたまちづくりに取り組まなければならないという切迫感を持っていました。

 

小田 それで町長選に立候補されたのですか?

金平氏 「このままでは沼田町が危ない」と考え、立候補を表明しました。11年4月の統一地方選です。就任してから最初の半年間は、前町長からの引き継ぎなどに時間を費やしました。町の問題は病院以外にも、たくさんありました。それらに対し、包括的に取り組んでいかなければならないとして、11年12月から庁内の連絡会議で検討を始めました。無床化に関する検討は12年4月に始めました。

ちょうどその頃、病院を運営する北海道厚生農業協同組合連合会(厚生連)から、無床化と町立化の提案がありました。当時の厚生連は、経営のスリム化を図るために病院の町立化を進めており、医師・看護師の派遣と建物の管理は行うが、運営は町が担ってほしいという意向を持っていました。こうした外部からの働き掛けもあり、無床化にかじを切ることができました。

 

課題解決への使命感

小田 無床化に向けた町民の合意形成はどのように行ったのですか。町唯一の病院の機能縮小という方針には、反対運動が起こってもおかしくないと思いますが。

金平氏 「新しい医療・福祉体制の提案」という資料を作成し、町民説明会や懇談会を開きました(写真)。コンパクトエコタウン構想の前段として、「沼田町の医療・福祉体制の今後を考えよう」と題した資料も作り、そうしたビジョンを何度も伝えました。

懇談会は青年層向け、子育て中の親御さん向けなどに分けて開催し、それぞれ丁寧に伝えました。合計すると数十回は開いたと思います。

入院施設がなくなっても安心して暮らせる地域であることを示さなければ、納得していただけません。ですから病院の新設に合わせ、周辺に福祉や介護、子育てに関する機能や、商業施設を集約させることを約束しました。もちろん、そのための下準備もしていました。いろいろなものを一つにして、町民の暮らしや健康を守ると伝え続けたところ、議会も含めて反対の声はそれほど上がりませんでした。

 

写真 説明に用いられた資料の一部(出典:金平氏提供)

 

小田 熱量のある説明を続けられたのだと推測します。それだけ町の課題に対し、危機感を持っていらっしゃったのですね。

金平氏 私は町長になる前に社会教育主事を十数年、務めた経験があります。その関係で地域の方たちとの接点を多く持っていました。皆さんから「沼田を変えてほしい」という意見を頂くことがよくありました。それが私にとって使命感のように働いたのだと思います。病院の無床化に関する説明を続けていたときには、反対運動や次の選挙での落選に対する恐れはありませんでした。

 

小田 町長選に立候補する前から期待を寄せられていたのですね。

金平氏 立候補したとき、私は57歳でした。それまでに町職員として、農業委員会事務局次長、民生課高齢者福祉対策室長、地域振興課商工観光室長、地域振興課長補佐、教育委員会次長、議会事務局長と、あらゆる行政業務に携わってきました。

個人的には、もうこれ以上やることがないと思っていたタイミングでした。第二の人生を考えていた矢先に町長という選択肢が現れたものですから、その流れに乗ってみようと立候補したのです。

 

小田 思いとタイミングが合致したのですね。それまでの経験から、町の課題が誰よりもよく見えていたのではないかと思います。

金平氏 そうかもしれません。総合計画は3回作りましたし、議会事務局にいたときには予算や決算の数字から町全体の現状が理解できました。そこから町が抱える問題や課題も導き出せたのではないかと思います。

 

小田 コンパクトエコタウン構想に関する資料や記事を読めば読むほど、その戦略性に驚きます。空き家問題、高齢者の住宅問題、介護問題、豪雪地帯ならではのインフラのコスト問題など、あらゆる課題が包含され、それらを包括的に解決する計画が実務レベルにまで落とし込まれています。ここまで全体性のある取り組みを実行できている点も驚きです。

金平氏 町長に就任した当初、まちづくりに必要な基礎的な資料を整えました。そのデータを見ると、「ほとんどの分野に手を付けないと始まらない」と感じるほど、問題だらけでした。ですから、すべてを解決するためにはどうすればいいかという視点から計画を作っていきました。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年1月16日号

 


【プロフィール】

前北海道沼田町長・金平 嘉則 (かねひら よしのり)

1945年生まれ。北海道沼田町出身。同町に入り、農業委員会事務局次長、民生課高齢者福祉対策室長、地域振興課商工観光室長、地域振興課長補佐、教育委員会次長、議会事務局長を歴任。2011~19年に同町長を務めた。

 

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