「か・け・ふ」の自治体経営~片山象三・兵庫県西脇市長インタビュー(2)~

兵庫県西脇市長 片山象三
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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最終製品まで提案できる「播州織」の産地に

小田 西脇市の基幹産業の一つが「播州織」です。片山市長は民間企業の経営者時代に、生産量が縮小しつつあった播州織の現状に危機感を覚え、改革に取り組みました。地元企業や大学などを巻き込んだ、世界初の「多品種小ロット織物生産システム」の開発です。

このシステムは「第1回ものづくり日本大賞」(2005年、経産省など主催)の製造・生産プロセス部門で内閣総理大臣賞を受賞し、国内繊維業界の可能性を切り開きました。このような背景があって市長になられたわけですから、地場産業を「我がごと」とする感覚は誰よりもお持ちなのではないでしょうか?

片山市長 「我がごと」にすることと、それをいかに人に分かりやすく伝え、協力を仰ぐかが重要です。私は市長就任前、仕事の関係でイタリアのビエラ市(世界の高級服地の一大産地)に滞在したことがあります。そこでは生産される繊維の約60%が最終製品のアパレルとなり、高級百貨店で売られていました。残る40%は生地の卸です。

一方で西脇市の播州織は、ほぼ100%が生地のまま卸されている状況でした。生地の産地は、自分たちで最終製品まで提案できなければ生き残れません。このため、就任当初から職員にはビエラとの比較を示し、西脇ブランドをつくろうと伝えていました。

 

小田 市は2015〜21年度に「西脇ファッション都市構想」(図)を推進しました。

片山市長 「播州織の維持と創造、そして西脇のブランド化へ」を基本理念とした構想で、播州織に着目した地方創生の取り組みでした。基幹産業の播州織には人材育成や認知度の向上、最終製品の創出、高付加価値化、資源を生かした観光振興など、さまざまな地域課題がひも付けられます。それらを「ひと」「にぎわい」「わざ」の3軸に分類し、解決に挑みました。

具体的には、デザイナーの卵の方たちを受け入れ、最終製品を作るファッションクリエーターを育成しました。またファッションショーを開いたり、創作活動や人が集う場としてコワーキング(協働)スペースを整備したりして、まちのにぎわいづくりに取り組みました。

 

出展:西脇市

 

小田 地域活性化のために外部から人材や産業を受け入れ、刺激を与える必要性は感じるものの、何をどうすればいいのかと模索する自治体は多いです。そのような課題を抱える自治体に足りない要素は、何だと思いますか?

片山市長 私はむしろ行政経験が全くない状態で市長になりましたから、ある意味で「素人目線」で進めてこられたのが良かったのだと思います。今でも職員には迷惑をかけているという実感があります。就任当初は議会が日ごろ、何をしているのかもよく分かっておらず、自分の考えや思いをぶつけることしかできませんでした。職員はよく付いてきてくれたと思います。議員の方たちも「何も分かっていない市長だが、そこまで言うなら」と受け入れてくださいました。

 

小田 行政経験なしに首長になった方が、最初から議会と良好な関係を築けるのは、まれだと思います。片山市長のお人柄ですね。

片山市長 人柄かどうかは分かりませんが、危機感と方向性を共有できたことは大きいと思っています。

 

小田 このインタビューに当たり、就任当初の所信表明を拝読しました。そこには片山市長の危機感がひしひしと感じられる、こんな文章がありました。

「私が愛してやまないふるさと・西脇市においては、地域経済の低迷が長期化しており、このことが市民生活にもマイナスの影響を及ぼし、市全体が活力を失っていると感じております。私は、『民間力で西脇復活』というスローガンを掲げてまいりましたとおり、民間企業で培った知識と経験をフルに発揮し、ふるさとを何とか元気にしたい、そして、次代に向け、力強い復活への歩みを進めてまいりたいという思いでいっぱいであります」。

この思いに皆さんが共鳴したのですね。

片山市長 市長就任前は地域経済の当事者でした。播州織の生産額が25年間で4分の1に縮小するなど、危機的状況を目の当たりにし、「ここで何とかせなあかん」と思ったのです。当時は行政の専門領域である福祉のことなどは、経験も知見もない状況でした。その代わり、ひたすら「こうしたい」という思いを伝え続けましたね。

 

町内会と連携したマイナンバーカード普及策

小田 時には職員と意見がぶつかることもあったのではないでしょうか?

片山市長 最近だと、マイナンバーカードの普及ですね。2022年6月のことです。西脇市は当時、県内の全41市町で交付率がワースト2位でした。当然、改善が必要でしたが、他自治体のようにキャッシュバックを行うような予算の余裕がありませんでした。

そこで考え付いたのが、民間事業者に協力をお願いすることでした。社員もしくは市内の顧客と接する際に、カードのPRもしていただけないかと依頼して回りました。すると、特に生命保険会社を中心にPRが進み、申請数が一気に増えたのです。

手続きを担当する職員からは「これ以上、申請数が伸びたら対応できない」と反発を受けました。しかし私は何とか頑張ってほしいと、「できる理由や方法」を話して押し返しました。

 

小田 今やらなければならない理由があったのですね。

片山市長 当時はカードを作ることで、最大2万円のマイナポイントが国から付与されるキャンペーンが行われていました。西脇市の人口は4万人弱なので、経済効果に換算すると8億円になります。コロナ禍で地域経済が疲弊する中、市が自前で8億円の経済支援を行うことは困難でした。ですから、この機会を逃すまいと思ったのです。

カードの手続きに携わる職員には、申請数と交付数を全庁に向けてオープンにし、他部門から協力を仰ぐよう伝えました。すると他の職員の助けが入るようになり、手続きが進むようになりました。結果、今年2月には申請率が県内で上から2番目になりました。

 

小田 キャッシュバックやポイント加算など、市独自のインセンティブを全く設けなかったにもかかわらず、1年弱でそこまで躍進するとは、驚きとしか言いようがありません。

片山市長 市内に80ほどある町内会にも協力をお願いし、公民館の開放と市民の呼び込みを担っていただきました。幸いにして、ほぼすべての町内会の力を借りることができました。この仕組みでカードの普及を進めた事例は珍しいのではないかと思います。

 

小田 ほぼすべての町内会ですか。にわかに信じ難いお話です。

片山市長 もちろん職員もできる限りの工夫をしました。例えば「出張マイナンバー号」と名付けた車両で公民館などに写真撮影用の機材や申請登録用のタブレットを持ち込み、その場で手続きが終わるようにしました(写真)。町内会の皆さんがお忙しい中、会場設営と呼び込みにご協力くださいました。ですから我々もできる限りのことをしようと、時には厳しい議論を重ねながら工夫して取り組みました。そうして成果を挙げることができたので、皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

写真:「出張マイナンバー号」で任意の場所に訪問
(出典:西脇市)

 

小田 各町内会との関係が良好だからこそ、実施可能だった施策ですね。

次回は片山市長の柔軟な発想力や関係構築力に、さらに迫ります。

 

第3回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年12月25日号

 


【プロフィール】

片山 象三(かたやま・しょうぞう)

1961年、兵庫県西脇市生まれ。同志社大商卒。89年株式会社片山商店に入り、2000年代表取締役社長に就任。13年西脇市長選に初当選し、現在3期目。

 

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