県議時代からの「つながり」で市政を動かす~早川尚秀・栃木県足利市長インタビュー(2)~

栃木県足利市長・早川尚秀
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2024/08/06 県議時代からの「つながり」で市政を動かす~早川尚秀・栃木県足利市長インタビュー(1)~
2024/08/08 県議時代からの「つながり」で市政を動かす~早川尚秀・栃木県足利市長インタビュー(2)~
2024/08/13 地方のまち同士が共存共栄する道を模索~早川尚秀・栃木県足利市長インタビュー(3)~
2024/08/15 地方のまち同士が共存共栄する道を模索~早川尚秀・栃木県足利市長インタビュー(4)~

 

人脈が何よりの宝に

小田 県議会議員時代の経験や知見が今に生かされていることと思いますが、議員と首長では違うと感じる部分はありますか?

早川市長 議員は合議体のうちの一人ですので、仕事の中心は議案のチェックや政策の提言になります。首長ももちろん政策立案には関与しますが、主な仕事は自治体のトップとしてあらゆる判断を下すことです。従って、言動には大きな責任を伴います。市長になり、言葉に対する責任感を改めて痛感しています。また、議員と首長では「周囲からの見られ方」にも違いがあると感じます。やはり首長は「まちのトップ」として見られますので、その期待にしっかりと応えるべく、慎重さと大胆さを使い分けながら、まちを良い方向に導いていかなければならないと思います。

議員時代には、たくさんの方とのご縁を頂きました。こうした人脈は何よりの宝です。首長になってからも議員時代の人脈により物事が前に進むことが多いです。

 

小田 例えば、どのような方たちと深いつながりを築いているのですか?

早川市長 私は県議会議員の時代に、自民党会派の政務調査会に属していました。そこで政策を考えたり、執行部とのやりとりや、県内各種団体と意見交換をする窓口役をさせていただいたりしました。政務調査会を通じて得た人脈はとても深いと思っています。

例えば、幼稚園や保育園の連盟、宅建協会、商工会議所連合会など経済団体に属する方たちです。各種団体の方々とは定期的に政策懇談会を行い、要望を受け取ってきました。皆さんがどのような悩みや課題を抱えているのかお聞きし、共に解決策を考えていく中でつながりを深めることができました。

その他、国会議員や市議会議員といった政治関係の方々や、県職員の皆さんとも深いつながりを築かせていただいています。

 

小田 やはり、直接膝を突き合わせて話した相手とのつながりは深くなるものですよね。今でもそういった方々のほうから市長に対し、コミュニケーションがあるのではないでしょうか?

早川市長 各種団体の方たちは、今でも要望や意見を伝えに来てくださいます。そのお声は、さまざまな判断を行う上で大変参考にさせていただいています。

私は、人脈というものはそう簡単につくれるものではないと思っています。長く良好な関係を続けていこうとするならば、なおさら大切にしなければなりません。世間にはこれだけ多くの人がいる中、何かのきっかけで知り合えるのはご縁です。これまで頂いたご縁は引き続き大切にしながら、今後も一人でも多くの方と関係を築けるよう、さまざまな場に出向いて行こうと思っています。日々、人脈のありがたさを痛感しています。

 

小田 単に知り合うだけでなく、そこから一歩進んだ関係性を築くために意識されていることはあるのですか?

早川市長 相手のお話に耳を傾けることです。もちろん全ての要望を叶えられるわけではありませんが、まずは意見やお気持ちを受け止める姿勢を持つことを意識してきました。また、早々に「できません」と返すのではなく、先方の課題の本質はどこにあるのか、どうしたら要望を実現できるのかと共に探ることを心掛けました。誰しもそうだと思いますが、やはり、自分のために一生懸命考えてくれたり、何かしてくれたりする人には信頼感を覚えやすくなります。信頼を感じていただくためにはどうすれば良いかと考え、日々の行動に移してきました。

 

小田 多方面から寄せられる要望の中には、非現実的な内容もあったことでしょう。「信頼関係」と一言で表せども、それを意見の方向性が異なる方たちとの間で築くのは難しいですよね。

早川市長 今でも難しいと思っています。総論は賛成でも各論は反対の立場を取る方もいらっしゃいますし、お気持ちは理解できるものの財源の問題をクリアするのが難しい要望もあります。ですから、こちらも誠意を込めてお話しし、お互い本音でやりとりができるように努めています。

 

地元のために学びを深め続ける

小田 先ほど、県議会議員時代に政務調査会に属されていたと伺いました。この時のご経験が早川市長の糧になっているのではないかと思うのですが、当時の活動について詳しくお話しいただけますか?

早川市長 政務調査会には議員1期目から入らせていただきました。ちょうどその頃は、栃木県最大の地方銀行である足利銀行が破綻して騒ぎになっている時期でした。同じようなことを今後起こさないためにも、議会側は金融経済についてもっと学びを深め、県の執行部や企業の役員さんたちと深い議論を交わせるようになるべきだという意見が上がっていました。そんなタイミングで私たち若手議員に議員の先輩方が「若手こそ勉強してほしい」と声を掛けてくださり、政務調査会に入りました。

それからは会の活動を活発化させようと、同期の議員たちを中心に各自関心のある分野を持ち寄って勉強会を開催したり、定期的に県内の各種団体と政策懇談会を行ったりしました。県の執行部の皆さんと勉強会を行うこともありました。このときの経験から得た知識や人脈は、私にとって非常に大きな糧になっていると思います。

 

小田 政務調査会は5期18年間、継続して在籍していたのですか?

早川市長 副議長や議長、他の委員会に属していた期間は抜けていましたが、18年のうち、多くの期間在籍していたと記憶しています。私にとって、政務調査会の活動が議員活動の中心でした。学び多き恵まれた期間でした。

 

小田 そのご経験で政策立案力が培われ、今に至るというわけですね。

早川市長 幸い、周囲の議員仲間たちと共に「何のために議員を務めているのか?」と原点に立ち返りながら活動を続けることができました。目的意識がなければ、長い経験は意味を成しません。まして、財産とも言える人脈も構築できないでしょう。「議員になること」「首長になること」がゴールではなく、そこから何を実現したいかの方が重要です。そういう意識を常々持ちつつ、今も活動しています。

 

小田 志を高く持つ政治家の活動は、地道で目立たないことの積み重ねであることが多いです。早川市長のような方のご紹介をするために、このインタビュー企画はあると思っています。

早川市長 不祥事はすぐに取り上げられますが、地方公務員や議員の地道な活動を報道するメディアは確かに少ないですよね。残念に思います。ですから私は、記者クラブの方に「市職員や市議、県議が頑張っている日ごろの姿をきちんと報道してほしい」とリクエストしたことがあります。ネガティブな面だけにスポットライトが当てられると、公務員や議員を目指す方が減ってしまいます。これは介護や看護、保育など、人材不足が叫ばれている分野全てに共通するかもしれません。その仕事のやりがいや素晴らしさなど、ポジティブな面にもスポットライトが当てられるようになると、我々は仕事に対してもっと誇りが持てますし、憧れを持つ方も増えるかもしれません。良い循環が生まれるような報道が増えることを望みます。

 

小田 政務調査会でのご活動を続ける中で、悔しい思いをされたこともあったのではないでしょうか。

早川市長 時々不安がよぎることがありました。特に、政務調査会の活動で地元を長く離れるときです。「今ごろ、他の議員は地元を回っているのだろうか」と、次の選挙のことを考えてしまうこともありました。その際は「今自分が携わっている仕事は、誰にでもできるものではない。この仕事はきっと地元のためになる」と自らを奮起させて乗り越えました。

 

小田 そんな中、県議会議員を5期お務めになり、首長になられた。やはり地域の皆さんは早川市長の姿勢をご覧になっていたのだと思います。

早川市長 私たちの仕事は、他の方からの評価が全てです。その点、政務調査会の活動で地元を離れることが多かった私を支持してくださったことは、非常に光栄だと思っています。市長選に関しては、長年共に仕事をしてきた議員からも立候補を強く勧められました。さまざまな方からのご支援のおかげで今があると思っています。

 

小田 今回は県議会議員時代から市長就任までのエピソードを中心にお話しいただきましたが、早川市長の誠実で謙虚なお人柄が言葉の端々から感じられる内容でした。その人間力に感化された方たちの付託により、首長になられたということがよく理解できました。

 

次回のインタビュー後編では、これまで培ってきたご縁を生かした市政運営や、組織マネジメントについてなど、早川市長の手腕に深く迫ります。

 

第3回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年6月17日号

 


【プロフィール】

足利市_早川市長プロフィール写真早川 尚秀(はやかわ・なおひで)

1972年足利市生まれ。早稲田大政治経済学部経済学科卒業後、95年4月に足利銀行入社。

2003年4月栃木県議会議員に初当選し、議長経験も含め5期18年を務める。21年5月に足利市長就任現在1期目。

スポンサーエリア
おすすめの記事