派閥に属さず市民中心主義の行政を実現~堀内茂・山梨県富士吉田市長インタビュー(1)~

山梨県富士吉田市長・堀内茂
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2024/08/20 派閥に属さず市民中心主義の行政を実現~堀内茂・山梨県富士吉田市長インタビュー(1)~
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2024/08/29 「富嶽共創」のまちづくり~堀内茂・山梨県富士吉田市長インタビュー(4)~

 


 

山梨県富士吉田市、堀内茂市長のインタビューを前後編でお届けします。

富士山の裾野に広がる人口約4万6000人のまちのトップを5期にわたり務める堀内市長。しかし同市ではかつて、市長が1期ごとに交代するほど政治的な派閥争いが激しく繰り広げられていました。そんな状況を打開し、継続性のある市政を実現した堀内市長には、期ごとにまちづくりのテーマがあったといいます。そんな「市民中心主義の行政」を形にするプロセスをお聞きしました。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

市民中心主義の行政へ

小田 堀内市長は2007年に就任され、現在5期目です。17年にわたり市政を牽引していらっしゃいます。これは私の仮説なのですが、中長期の取り組みであるまちづくりには長期政権が必要だと考えています。数十年単位の計画の実行を連続性を持って行えるからです。今回は、堀内市長がこれまで行ってきた施策について、背景にあるお考えとともにお話しいただけると幸いです。

堀内市長 ではまず、就任当初から1期目の時期についてお話しします。

富士吉田市は、昭和中期に三つの町と一つの地区が合併してできました。それぞれの地域の派閥があった所を合併したものですから、市の設立後も、政治的な派閥風土が強く残っていました。当然、市長選も凄まじい戦いが繰り広げられ、市長が1期で交代することも珍しくありませんでした。そんな状況ですから、市政方針に沿った計画を立てても完遂しない状態で政権が代わります。継続性のない施策が続き、財政的に無駄な投資が膨らんでいました。また、選挙で勝った方を支持していた職員は優遇されるなど、派閥争いは庁内の人事にも影響していました。

このようなことを繰り返していたら、市の発展は疎かになる。地域住民の方たちの中に次第に危機感が生まれ、「派閥と利害関係のない候補者を」ということで私に白羽の矢が立ちました。当時の私は政治とは縁遠い存在の人間でしたが、皆さまの要請を受けて市長選に立候補し、市長の役目を頂きました。当選時、「この土地で派閥に属さない人間が当選するなんて奇跡だ」と言われました。

それほどの期待を託されて当選させていただきましたから、「市民中心主義の公平公正な行政運営」を強く心掛けました。1期目は、まずは物事を進めるための基盤づくりです。累積赤字を抱えた財政の立て直しに全精力を集中させました。

 

小田 派閥風土の強い土地柄の中で、どんな人たちから立候補の要請を受けたのですか?

堀内市長 まちの商店主など、政治に直接的には関わらない方たちからでした。ある特定のエリアからというわけではなく、方々からお声を頂きました。

これには、私の出自が関係していると思っています。私は東京都出身で婿養子として富士吉田市に来たため、地元の人間ではありません。地元の人間ですと、学生時代を共にした人たちの票が選挙の時には集まる傾向があります。これは選挙結果に大きな影響を及ぼします。ところが、私にはそういうものが一切ない。だからこそ逆に、自由に富士吉田市の未来図が描けるのではないかと思っていただけたのでしょう。

 

小田 「なんとか市が変わってほしい」という願いが託されたのですね。はじめに着手した財政改革では、どのような手を打ったのですか?

堀内市長 1期限りで構わないとの思いで、大なたを振るいました。民間に発注する業務には入札制度を厳正に運用し、公平公正に取引業者を選定できる体制を築きました。職員の手当もカットしました。入札制度の運用が定着したことで、公平性を保ちつつも市の支出を大幅に減らすことができました。また、職員の手当カットに関しては反発が出ることを予想しましたが、皆が協力的な姿勢で受け入れてくれました。「このままでは富士吉田市がダメになる」という危機感が一致していたのでしょう。財政の健全化に向け、無駄なことはせずに選択と集中を行うという方針に対し、多くの方の理解と協力を頂きました。結果的に、1期目で負債を50億円以上減らすことができました。

 

小田 1期で50億円以上の財政改善とは驚きのスピードです。

堀内市長 市長というより、市の管財人になったつもりで思い切り取り組ませていただきました。職員や市民の皆さんの多大なる協力のおかげで結果を出せたことに対し、非常に感動したことを覚えています。

 

おもてなしの精神を根付かせる

小田 1期目は財政基盤の整備に全力を注がれたとのことですが、その他にチャレンジした取り組みにはどのようなものがありますか?

堀内市長 1期目の時期に国の新制度として地域おこし協力隊の制度がスタートしました。これを活用しようと、既に連携協定を結んでいた慶応大から、デザイン経営を学ぶ学生さんたちに富士吉田市に来ていただきました。彼らは市内を巡り、地域の良さや持ち味を発見し、店舗や商業の中に生かす働き掛けをしてくれました。市民の意識改革に取り組んでいただいたのです。時には「よそ者」扱いを受けて苦労したこともあったでしょう。しかし、学生さんたちは粘り強く地元住民と関わって、まちのイメージチェンジに取り組んでくれました。

例えば、商店の玄関口の飾りを富士山信仰にちなんだデザインにするなどです。その様子を見て、だんだんと商店主をはじめ、多くの市民の皆さんが「地域の良さを生かすとはこういうことなのだ」と気付き、感覚が変わっていきました。まちの雰囲気も変わりました。地域おこし協力隊の皆さんには本当に感謝しています。

慶応大との連携は17年目(出典:富士吉田市ウェブサイト)

 

小田 地域おこし協力隊の制度をすぐに活用するとは、情報にアンテナを張っていらっしゃったのですね。

堀内市長 そうですね、情報にはかなりアンテナを張っていました。地方にいますと、国が行う具体的な施策に対して鈍感になりがちです。それを防ぐために、時間が許す限り各省庁に出向き、担当職員の皆さんからお話を聞かせていただきました。

 

小田 堀内市長は冒頭で「市民中心主義の行政」とおっしゃいました。それを1期目から全力で実行なさったのですね。経歴を拝見すると民間企業にお勤めのご経験がありますが、その時の知見も生かしているのでしょうか。

堀内市長 私は学生の頃からホテル業に憧れており、国内のみならず海外のホテルにもよく足を延ばしました。また、ホテルオークラにて働いていたこともありました。ホテル業では「お客さまをいかにくつろがせ、心を豊かにしていただくか」を大切にします。こういったおもてなしの精神は、行政運営にも生かすことができたと思っています。

 

小田 堀内市長が就任してまちが変わってきたことで、派閥風土は和らいだのではないでしょうか?

堀内市長 派閥風土が完全になくなったわけではありません。1期目の選挙は厳しい戦いで、500票差ほどだったと記憶しています。2期目から5期目の選挙も、毎回対抗馬が立候補しました。しかしおかげさまで多くの市民の方々に応援していただき、次第に大きな票差で当選するようになりました。これまで取り組んできたことを認めていただけたのだと思っています。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年7月1日号

 


【プロフィール】

堀内市長プロフィール写真堀内 茂(ほりうち・しげる)

1948年東京都出身。ホテルオークラ等複数の民間企業に勤務した後、富士吉田市に移住。87年から山梨県議会議員(1期)、その後しばらく政治から離れるも、2007年に富士吉田市長に就任。現在5期目。

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