前茨城県つくば市副市長 毛塚幹人
(聞き手)株式会社Public dots & Company代表取締役 伊藤大貴
2021/07/05 柔軟なキャリアと発想で市政をけん引、若き副市長の軌跡(1)〜つくば市最年少副市長のスタートアップ戦略を振り返る〜
2021/07/08 柔軟なキャリアと発想で市政をけん引、若き副市長の軌跡(2)〜つくば市最年少副市長のスタートアップ戦略を振り返る〜
2021/07/12 柔軟なキャリアと発想で市政をけん引、若き副市長の軌跡(3)〜自治体の「強み」を活かしてつくるエコシステム〜
2021/07/15 柔軟なキャリアと発想で市政をけん引、若き副市長の軌跡(4)〜自治体の「強み」を活かしてつくるエコシステム〜
2021年3月末。任期満了に伴い一人の副市長が退任しました。彼の名は毛塚幹人氏。2017年、茨城県つくば市の副市長に26歳の若さで就任し、「最年少の副市長」としてメディア等でも話題になった人物です。まずはその年齢に注目されることが多い毛塚氏ですが、特筆すべきは若さだけではありません。本稿では、毛塚氏の柔軟なキャリアパスと発想、そして副市長時代に力を注いだ「スタートアップ戦略」について、どのような視点で地方行政を捉え、行動を続けてきたのか? 詳しくインタビューした内容をお届けします。
異例のキャリアを描いて副市長へ
伊藤 つくば市最年少の副市長の任を(2021年)3月末で終えられたということで、本当にお疲れさまでした。早速ですが、まずは副市長になる前のご経歴から、簡単にお話しいただけますか?
毛塚氏 2013年に財務省に入省して4年間、国での行政に携わった後、現つくば市長の五十嵐立青氏に声を掛けていただき、2017年4月から4年間、つくば市の副市長を務めさせていただきました。
伊藤 五十嵐市長とは、どのような接点があったのですか?
毛塚氏 五十嵐市長が2012年のつくば市長選に出馬した際、住み込みで選挙のお手伝いをしたことがきっかけです。私は中学生の頃から科学技術に関心があり、「科学の街」であるつくば市に憧れを抱いていました。その流れで、大学在学中もつくば市の行政についてたびたび調べており、そこで当時、社会起業家としても活躍していた市議会議員の五十嵐氏を知りました。その活動に刺激を受けた私は、筑波大の友人から五十嵐氏の連絡先を教えてもらいメッセージを送りました。そうしたら、お会いすることができまして。そのまま選挙のお手伝いをすることになりました。
2012年の市長選では五十嵐氏は残念ながら落選してしまい、私も翌年財務省に入省しましたが、次の2016年の市長選で五十嵐氏が当選。その後私に声を掛けてくださり久しぶりにタッグを組むことになり、26歳の時に財務省を退職してつくば市の副市長になったという経緯です。
伊藤 副市長になるに当たり、財務省から出向ではなかったのですね?
毛塚氏 はい、退職して専念することにしました。国から地方自治体へ1〜2年等の出向もありますし、副市長という形以外でもいろいろな関わり方が考えられたと思います。私の場合は、都市経営への以前からの関心や五十嵐市長との信頼関係もあり、しっかりとつくば市政の中に入って業務に取り組みたいと思いました。また、国で働いている仲間との役割分担という観点でも自分が市政に入り込むことの意義を感じていましたので、財務省の退職を選びました。
伊藤 キャリアへの不安はありませんでしたか?
毛塚氏 都市経営に深く関わりたい想いは以前から持っていましたから、むしろ、ようやくチャンスを得たような感覚を覚えました。私は宇都宮市の出身で、高校生まで宇都宮で暮らしていました。それが大学で東京に来た際、地方と都市のギャップに驚き、それから日本の地域をどう支えていくか考えるようになっていました。
また、これは理系だった高校生の頃から、日本の科学技術予算や研究環境の課題を感じてきました。では、地方や科学技術の課題に対する取り組みをどこが担えるのか? というと、政治や行政ではないかと思い、大学は法学部に進み、財務省に入りました。財務省では税制改正や財務局での地方創生等に携わり、国からも自分の問題意識に直結する行政経験を積むことができましたが、4年前に五十嵐市長に声を掛けていただき、さらに踏み込んでつくば市の都市経営に携わることを選びました。
ちなみに私の周りには、同世代で起業している方がとても多いです。自分のキャリア選択ではその影響も少なからず受けていると思います。財務省を辞めた時には、ようやく自分も自身でリスクを取りながら自分の人生を描いていくフィールドに立てたという感覚を持ちました。
伊藤 あまり世代でくくるような表現はしたくないですが、確かに毛塚さんの世代の方は、大学卒業と同時に起業するケースも多いですね。
毛塚氏 そうですね。ですから、もちろん退職しての挑戦を心配してくれる方も多かったですが、応援して送り出してくださる方も同じように多かったです。
「地域の声」が学びに
伊藤 26歳でつくば市の副市長になられたわけですが、一般的なイメージでいうと、26歳というのは、社会人として仕事にようやく慣れてきた頃かと思います。そのタイミングで副市長の立場というのは、かなりプレッシャーを感じたのではないでしょうか? 日々どのようなことを感じながら業務に取り組まれていたのですか?
毛塚氏 副市長になって感じたのは、財務省時代に取り組んできた業務との「共通性」と「違い」でした。
財務省に採用されると、一般的にすぐに局の取りまとめ業務を担当することになり、他の局との折衝や民間や地方組織から派遣されて省で働かれている方など、さまざまな方たちとコミュニケーションを交わしながら局の業務を進めていきます。これは、市役所全体を統合しながら事業を進めていく副市長の仕事とよく似ており、財務省時代の経験が役に立ちました。
一方で大きな違いは、住民の方との距離です。国と市役所で比較すると、市役所の方が役所と住民の方々との距離がとても近いです。そんな中、自分の地元ではない地域で、いかに住民の皆さまと信頼関係を築いていくかを重視しました。地域のイベントなどに参加しながら、時間をかけて信頼関係をつくっていきました。
伊藤 もともと地方行政に対する想いが強いからこそ、ある意味アウェーの状況からのスタートでも、どんどん地域に溶け込んでいくような行動につながったのですね。
毛塚氏 市民の方々からの「具体的にこんなことで困っている」という現場の生の情報が、本当に学びになりました。財務省で働いていた頃にはなかなか得られなかった情報でもあり、「もっとお話を伺いたい」という気持ちの方が強かったです。
ただ、「何に困っていますか?」といきなり質問はできませんし、それをしたとしても、おそらく市民の方から自然なご意見を頂くことはできないと思います。なので、いろいろな場所に顔を出して、自然なコミュニケーションの中からご相談いただけるように意識してきました。
伊藤 私は過去に横浜市議会議員の経験があるのですが、今の毛塚さんのお話は、議員の目線だと感じました。いきなり「お困り事はありますか?」と聞いて、返ってくる答えはほぼありません。信頼があるからこそ住民の方の本音を聞き出せるのであって、それができる議員とできない議員とでは地域での愛され方が違うと経験上感じています。毛塚さんの場合は、行政職員の立場から、住民の方々の本音を丁寧なコミュニケーションで引き出していったのですね。それがすごく新鮮に感じます。
毛塚氏 私の場合は、五十嵐市長が考えていることを、自分の頭の中でもできる限り再現することを意識していました。大学生時代に選挙のお手伝いに携わり、政治家が地域とどのようにつながっていくのかを間近で見ることができた経験が、副市長になってからのコミュニケーションに活かされている気がします。
市長とその先の市民との考えにいかに自分をシンクロさせていくかは常に意識していましたね。
(第2回に続く)
【プロフィール】
毛塚 幹人(けづか・みきと)
前茨城県つくば市副市長
1991年2月19日生まれ。栃木県宇都宮市出身。東京大法学部卒。2013年に財務省に入省し、国際局国際機構課でG20やIMFを担当。近畿財務局、主税局総務課等を経て財務省を退職。2017年4月につくば市副市長に就任。“アジャイル行政”のコンセプトの下、政策企画、財政、経済振興、保健福祉、市民連携等を担当し、2021年3月末に任期満了に伴い退任。