自分たちのまちに絶対的な誇りを持つ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(2)~

大阪府東大阪市長 野田義和
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2023/07/28 自分たちのまちに絶対的な誇りを持つ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(1)~
2023/07/31 自分たちのまちに絶対的な誇りを持つ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(2)~
2023/08/03 「上善如水」のリーダーシップ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(3)~
2023/08/05 「上善如水」のリーダーシップ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(4)~

 

子育て環境の整備に注力

小田 現在の副市長3人のうち2人は2期以上、務めています。これも野田市長との信頼関係が理由でしょうか?

野田市長 一般的に副市長は1期4年で交代することも多いですね。本市の場合は、私が就任してから新たな政策を立て続けに行ったこともあり、それらの継続性という観点から2人の副市長が2期以上を務めています。

 

小田 野田市長のこれまでの政策実績は、行財政改革をはじめ、子育てや教育、高齢者福祉、健康医療、防犯など、あらゆる分野に及びます(写真)。その中でも特に長期にわたって取り組まれていることは何でしょうか?

野田市長 行財政改革は2007〜17年(第1〜3期)に取り組みました。10年間で市債を292億円削減し、基金を168億円増やしています。43億円の赤字を出していた国民健康保険は、18億円の黒字に転換させました。

この期間には出産や子育て環境の充実・整備にも力を入れました。安心して子育てができるよう、妊産婦健診への公費負担を大阪府内でトップとなる水準まで拡充しました。産後ケア事業も実施しました。また、子育て支援センターも4カ所を開設し、子育てする方々の相談や交流の場として機能するようにしました。

現在は4期目ですが、3期までに整えた安全安心で暮らしやすいまちの基盤を、さらに進化させるような施策を考えています。

 

小田 政策の継続性や業務の質を保つために必要であれば、副市長が長く務めることもあるでしょう。民間の経営者も同じ考えを持つと思いますが、議会から指摘はないのですか?

野田市長 議会はこちらの人事に関し、よほどのことがない限り、承認するという姿勢を示しています。議員も副市長を信頼し、地域で受けた要望を託しています。今のところ、2期以上を務める副市長に対し、特段の意見を頂いたことはありません。

 

小田 就任当初は、保守系議員の分裂で議会が混乱していたとのことでした。そんな状況から現在に至るまでには、さまざまな苦労があったのではないかと想像します。

野田市長 最初に就任した2人の副市長には、率直に申し上げて大変な負担をかけました。議会が混乱する中で何とかまとめようと尽力し、後任に引き継いだという歴史があります。彼らには非常に感謝しています。

 

(写真)野田市長の公式ホームページには、これまでの政策実績が紹介されている(出典:野田よしかず東大阪市長 公式ホームページ)

 

まちのポテンシャルに目を向ける

小田 就任当初、特に副市長不在の2年間は、恐らく庁内組織にも混乱があったと思います。職員にはどのような働き掛けを行ったのですか?

野田市長 職員の力を結集することに努めました。最も取り組んだのは「まちに対する誇りを持とう」と呼び掛けたことです。

東大阪市は1967年に布施、河内、枚岡の3市が合併して誕生しました。それぞれのまちの文化や歴史を受け継いで今があります。そのためか、どこか一体になり切れない雰囲気がありました。ですから、まずは東大阪というまちのポテンシャルを自覚するところから始めました。

自分たちのまちに絶対的な誇りを持ち、「チーム東大阪」としてまとまっていこうと呼び掛けました。職員も一生懸命になってくれました。振り返ってみると、副市長がいない2年間は「チーム東大阪」としての力を付ける時期だったと思います。

 

小田 大変な時期はあったものの、職員とワンチームになることができたのですね。まちのどのような部分にポテンシャルを感じたのですか?

野田市長 一つは、中小企業や工場の「モノづくり」の力です。最近までNHKの連続テレビ小説で、東大阪が舞台のドラマが放映されていましたが、あのように東大阪の企業は非常に高い品質でモノづくりができます。大手の国産車には必ずと言ってよいほど、東大阪の企業が製造した部品が使われています。暮らしや産業にとって、なくてはならない存在です。これをいま一度、自覚しようと呼び掛けました。

もう一つは「地の利」です。道路交通で考えると、中心市街地から1時間もあれば関西空港、伊丹空港、新幹線の新大阪駅にアクセスすることができます。近隣の主要都市である大阪、神戸、京都、奈良、和歌山の各市も1時間以内の距離です。

このような位置にまちがあることは大変、高いポテンシャルを持っていると言えます。人、モノ、情報、お金が集まる可能性を秘めているからです。この可能性についても、皆で共有して高めていこうと呼び掛けました。

職員にはあらゆる場面で繰り返し伝えましたし、市民にも話しました。自分たちのまちに誇りを持つことで、ようやく先に進めます。そう考えて、伝えることに随分努力しました。

 

小田 野田市長が就任された頃の市のイメージは、今とは違っていたのですか?

野田市長 昔の大阪商人の間では、船場などの中心地で行っていた商売が傾いたら、郊外に出て行かなければならないという考え方がありました。その出て行く先の一つとして東大阪があったことから、就任当時の市は中心地よりも劣ったまちというイメージをどこか引きずっていたように思います。

これに関しては、私は無理に取り繕うことはなく、むしろ認めた上で前に進まなければならないと呼び掛けました。昔はそんな歴史もありました。郊外だと、やゆされることもありました。しかし、これからは違います。高いポテンシャルを秘めているのですから、われわれが努力して、きらきらと輝くように磨いていきましょうと伝え続けました。

結果的にではありますが、16年目の今では東大阪に対し、ポジティブなイメージを持つ人の方が多くなりました。職員や市民と協力し、支え合いながら、まちの誇りを育ててきた成果です。

 

小田 就任当初からの試行錯誤について、さらりとお話しされましたが、想像を超える努力と苦労があったことと思います。そんな中でも「チーム東大阪」として、職員と一体となって根気強くまちづくりに取り組み続けた結果、まちのイメージや暮らしやすさがアップしたのですね。

次回も野田市長のリーダーシップに迫ります。

 

第3回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年6月12日号

 


【プロフィール】

大阪府東大阪市長・野田 義和(のだ よしかず)

1957年生まれ。87年10月から5期 20年にわたり、東大阪市議を務める。この間に市議会議長も経験。 2007年10月東大阪市長に就任し、現在4期目。座右の銘は「上善如 水(じょうぜんみずのごとし)」。

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