「上善如水」のリーダーシップ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(4)~

大阪府東大阪市長 野田義和
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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2023/08/05 「上善如水」のリーダーシップ~野田義和・大阪府東大阪市長インタビュー(4)~

 

座右の銘

小田 前回のインタビューで、就任当初は議会に混乱が生じていたと伺いました。議会との関係はどのように改善していったのでしょうか?

野田市長 13年3月の第1回定例会が契機になりました。そこでは13年度の予算案をすべて審議する予定だったのですが、審議未了で閉会しました。議会としては、どこかのタイミングで臨時会を開き、政策的経費を含む予算を出そうとする動きがあったようです。

しかし私は、当時の全会計である約3700億円を専決しました。一般会計から特別会計、企業会計まで、当初予算案のすべてをです。市民生活を第一に考えての決断でした。これには議会も驚いたようで、風向きが変わりました。

 

小田 一筋縄ではいかない市長だと感じたのでしょうか?

野田市長 あくまでも私の解釈ですが、しかるべきタイミングで腹をくくれる市長だと感じていただけたのではないでしょうか。ある意味、議会を完全に否定するようなことをしたのですから。

その結果、次の6月議会では予算の専決について承認を頂きました。当時は保守系議員の対立で議会が混乱していましたが、この出来事を機に、きちんと政策論争に切り替えていこうという空気に変わりました。

 

小田 そこまで思い切った決断を行った野田市長ですが、お話しぶりは本当に穏やかです。首長のカラーもいろいろありますが、いわゆる「熱血リーダー」ではないですね。

野田市長 当時の混乱した議会を収める過程で「押し続けるだけでは解決しない」という感覚が身に付きました。私の座右の銘は「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」です。これは老子の残した言葉ですが、水のように器に従い、どんな形にも柔軟に変化できることが理想の生き方だと思っています。

 

決めたら、ぶれない一面も

小田 野田市長のリーダーシップは水のようにしなやかである一方、「決めたことに対して絶対にぶれない」といううわさも耳にします。ご自身では、どんなエピソードがそれに当てはまると思いますか?

野田市長 ラグビーW杯の試合会場として、花園ラグビー場が選定されるよう動いたときのことです。私はW杯の日本開催決定のニュース速報が流れた瞬間、職員を集めて「花園で開催する」と宣言しました。しかし当時の花園ラグビー場は近畿日本鉄道の子会社の所有物でした。民間企業の持ち物で開催すると、市長が勝手に宣言したわけです。

はたから見たら、めちゃくちゃな話です。さらに、当時の花園ラグビー場は老朽化が進み、国際試合を行う基準を満たさない状態でした。それでも私は開催に向け、関係各所と交渉を続けました。

近鉄グループホールディングス(GHD)の小林哲也会長には事後報告に伺いました。許可も得ずに進めていることに対し、おわびを申し上げたところ、会長は笑いながら「本気でやるつもりですか?」とおっしゃいました。私は「もちろん本気です」と答えました。

すると会長から、ラグビー場の譲渡のご提案を頂いたのです。市の負担は土地の購入費のみで、建物や備品、商標などの権利は無償で譲渡いただけるとのことでした。市はその提案を受け入れました。結果、W杯の花園開催にこぎ着けることができたのです(写真2)。

 

写真2 花園ラグビー場でのW杯開催決定を喜ぶ関係者(出典:東大阪市ウェブサイト)

 

小田 野田市長は冒頭、ラグビーW杯の開催で東大阪が全国的に認知されるようになったとおっしゃいました。途中で諦めていたら、こうはならなかったですね。

野田市長 W杯開催に当たっては国をはじめ、日本スポーツ振興センターにも多大なるご理解と措置を頂きました。

近鉄GHDには、土地の購入費を5年分割で支払うことをご了承いただきました。支払いの完了後には、近鉄GHDから5億円の寄付も頂戴しています。結果的に、決めてやり抜いたことで非常に良い成果を残すことができました。

 

小田 他にもエピソードがありそうですね。

野田市長 市内を走るJRおおさか東線を、運賃の特例対象にしたことも当てはまるかもしれません。新大阪駅までのアクセスがスムーズになるよう、新幹線の切符で乗り降りできるようにしたのです。

背景には、東大阪を「新幹線がつながるまち」にしたいという思いがありました。この件に関しては、JR西日本へ何度も交渉しに行きました。私があまりにもやって来るので、最後は先方の担当役員の方が根負けするような形で社内で稟議を通してくださり、実現に至りました。

思い返せば、市長になったこと自体も「ぶれない」と言えるかもしれません。私は市議時代に「一度でいいから予算編成を自ら行ってみたい」と強く思っていました。市長になる10年前ほどでしょうか。結果的に50歳で市長になりました。市議時代から数えると、この道36年になりますが、「絶対にこれだけはやるぞ!」ということに関しては、節目節目で貫き通してきたと思います。

 

小田 「水のようなしなやかさ」とは、また別の側面を見せていただきました。

野田市長 「絶対にこれだけはやる」というものが10あるとしたら、私にはそれをすべてやるだけの能力はありません。だからこそ、その中で優先順位を付け、上位にあるものは必ずやり通すことを続けてきました。それが結果的に良かったのだと思います。

 

【編集後記】

野田市長のリーダーシップは、座右の銘である「上善如水」を体現していました。流れを読みながらも、ここぞという場面では押し通す。緩急を付けた判断で都市経営を続けてきたことが、まちのイメージアップや転入超過につながったのだと感じました。

「モノづくりのまち」「ラグビーのまち」「新幹線がつながるまち」。東大阪市の表情は今後も豊かになっていくでしょう。

 

(おわり)

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年6月26日号

 


【プロフィール】

大阪府東大阪市長・野田 義和(のだ よしかず)

1957年生まれ。87年10月から5期 20年にわたり、東大阪市議を務める。この間に市議会議長も経験。 2007年10月東大阪市長に就任し、現在4期目。座右の銘は「上善如 水(じょうぜんみずのごとし)」。

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