岐阜県飛騨市長 都竹淳也
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子
2023/10/18 「前向きな空気」でまちを満たす~都竹淳也・岐阜県飛騨市長インタビュー(1)~
2023/10/20 「前向きな空気」でまちを満たす~都竹淳也・岐阜県飛騨市長インタビュー(2)~
2023/10/23 小さくても「楽しい」まちへ~都竹淳也・岐阜県飛騨市長インタビュー(3)~
2023/10/26 小さくても「楽しい」まちへ~都竹淳也・岐阜県飛騨市長インタビュー(4)~
医療・福祉の分野は徹底して守る
小田 飛騨市は医療・福祉にも注力されていますね。
都竹市長 医療・福祉の分野は行政として最後まで守らなければならないと考えているので、優先度は高いですね。
最初に取り組んだのは、介護人材と医療人材の確保でした。特に介護人材に関しては危機的な状況で、特別養護老人ホームが一部、休床になるほどでした。とはいえ、すぐに人材が見つかるわけではありません。そこで介護の仕事を仕分けしてみたところ、資格がなくてもできることがあると分かりました。例えば料理の配膳や掃除、買い物代行などです。
そういう仕事について有償のボランティアを募ったところ、高齢者が参加してくださるようになりました。結果、現場の負担は改善されましたが、それで人材不足が解消するわけではありません。
そこで次に、外国人留学生を介護人材として育成する仕組みづくりに着手しました。サンビレッジ国際医療福祉専門学校(岐阜県池田町)と連携し、介護福祉士となるための教育を留学生に行います。そして日本語ができる、日本の資格を持った働き手として介護施設で受け入れるのです。この仕組みを通じた人材を含め、過去2年間で7人の若い介護人材を確保することができました。来年度は10人になる予定です。
この仕組みも七転八倒する中で生み出したものですが、まさしく何年もの「積み上げ」の中で道を開いてきたものだと感じています。
小田 都竹市長は、今秋に立ち上がる「医療的ケア児・者を応援する市区町村長ネットワーク」の発起人代表を務めていますね。
都竹市長 医療的ケア児・者の支援は県職員時代に関わって以来、自分のフィールドとして取り組んできました。これは市長になっても変わりません。医療的ケア児・者が増加傾向にあることから国は「医療的ケア児支援法」を制定し、支援措置の強化に乗り出しました。
しかし、まだまだ体制が整ったとは言えない状態です。医療的ケア児・者とそのご家族の支援を充実させるためには、彼らの生活現場に密着した市区町村が主体的に動く必要があります。
そこで医療的ケア児・者支援に思いを持つ全国の市区町村長によるネットワークをつくり、勉強会や国への要望を行う体制を構築することにしました。現在、20人ほどの首長がメンバーとなっています。これから、さらに仲間を増やしていきたいと考えています。
「君の名は。」と無形文化遺産登録で空気一変
小田 都竹市長の全方位的な政策展開と手腕には驚かされます。就任当初からバランスを意識されていたのですか?
都竹市長 市政はバランスよく行うことが大切だと考えていたので、市長選の出馬会見では「元気で あんきな 誇りの持てる ふるさと飛騨市」をテーマに掲げました。これは今に至るまで、一貫して私の市政のスローガンになっています。
三つのワードには、それぞれ意味を持たせています。「元気」は「地域外から所得を稼ぎます」、「あんき」は「市民の安全・安心を守ります」、「誇り」は「市民の自慢につなげます」です。要するに産業振興から観光、医療・福祉、地域資源の掘り起こし、若者の定着まで全部やりますということです。
ただし、最初は特に観光施策を前面に掲げました。(04年2月の)合併後に地域間対立があり、まちのムードが沈んでいたからです。市民の気分が落ちていると感じたので、新しいまちの資源を打ち出した観光施策でにぎわいを創出し、雰囲気を明るくしようと考えたのです。
ラッキーだったのが、市長に就任してから約半年後の16年8月に公開された新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」の大ヒットでした。劇中に飛騨市内をモデルにした場所が幾つも登場し、「聖地」として知られるようになり、外国人を含む大勢の熱心なファンが「聖地巡礼」にやって来るようになりました。
小田 観光施策に力を入れようと思った矢先のタイミングだったのですね。
都竹市長 「君の名は。」で注目されたことはラッキーでしたが、じっと待ちの姿勢でいたわけではありません。千載一遇のチャンスだと思い、ファンのおもてなし策を仕掛けまくりました。ピーク時は数時間ごとに手を打っていました。
さらに同年12月には、飛騨市の「古川祭の起し太鼓・屋台行事」を含む「山・鉾・屋台行事」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました。すると「君の名は。」で注目されたことと相まって、まちの空気が一変し、とても明るい雰囲気になっていくのが実感できました。
それまで漂っていた重い空気がきれいに吹き飛ばされたようでした。まちに前向きな空気が満ち、あらゆる施策が進めやすくなりました。
小田 チャレンジすることに対する反応も変わりましたか?
都竹市長 チャレンジに対して、批判や後ろ向きの意見を言う人がいなくなりました。これは大きなことだと思います。空気感というのは、なかなか言葉で説明しづらいのですが、前向きに何かやってみようという話や動きが増え、さらにそれに対する否定的な声が聞かれないということが、一つのバロメーターだと思っています。
ちなみにまちの空気づくりに関しては、行政としての工夫もあるのです。プレスリリースをたくさん出し、メディアの露出を増やすことです。これは就任当初から意図的に行ってきました。職員にも「メディアに載らない、あるいは発信されない政策は実施したことにならない」と言い続けています。
新聞記者から「飛騨市のプレスリリースは特に多い」とよく言われますが、これは意図的に仕掛けていることです。メディアに取り上げられる量が増えてくると、まちの人たちは「自分たちのまちが元気になった」と活気づきます。この積み重ねがまちの空気を変えていくことにつながります。
小田 まちの見せ方について、常にアンテナを張っているのですね。
都竹市長 情報発信力のあるキーパーソンとつながることも意識しています。アユや農産物のブランディングは、海外の大使館などで勤務した元公邸料理人で、老舗の料亭「なだ万」でも調理経験がある方と連携しています。この方を探し出したのは職員です。私自身もアンテナを張っていますが、職員もチャンスがあれば、すぐ私に声を掛けるなどして、つながりをつくるよう努力してくれています。
小田 職員の行動からも、庁内に前向きな空気が満ちていることがうかがえます。きっと都竹市長が意識して、つくってこられたのでしょうね。
次回は、庁内の組織づくりや人材育成について伺います。
(第3回に続く)
※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年9月11日号
【プロフィール】
岐阜県飛騨市長・都竹 淳也(つづく じゅんや)
1967年生まれ。筑波大社会学類卒。89年岐阜県に入り、知事秘書、総合政策課長補佐、商工政策課長補佐、障がい児者医療推進室長などを歴任。2016年同県飛騨市長に初当選し、現在2期目。