将来のため、必要なハードに「投資」を~小林哲也・埼玉県熊谷市長インタビュー(1)~

埼玉県熊谷市長・小林哲也
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2024/07/23 将来のため、必要なハードに「投資」を~小林哲也・埼玉県熊谷市長インタビュー(1)~
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2024/08/01 県議時代の経験生かし、まちの姿を変える~小林哲也・埼玉県熊谷市長インタビュー(4)~

 


 

埼玉県熊谷市、小林哲也市長のインタビューをお届けします。

東京都心から50〜70㌔圏に位置する同市。JR熊谷駅から東京駅までは上越・北陸新幹線で約40分、在来線では上野駅や新宿駅まで60分台で行くことができるアクセスの良いまちです。2021年11月から市のトップとなった小林市長は、以前に5期18年務めた埼玉県議会議員時代の経験を生かし、さらなるまちの発展のために大規模な公共事業を同時並行で推進しています。近年の自治体経営において「ハードよりもソフト」という考えが浸透する中、ハードにも力を入れる背景にはどのような意図があるのでしょうか。本稿で詳しく迫ります。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 


小林市長(上)へのインタビューはオンラインで行われた(出典:官民共創未来コンソーシアム)

 

就任2年で三つの大規模公共事業を推進

小田 小林市長が21年に就任されてからの政策スピードに驚いています。就任時に示された基本政策について、2年余りでその多くが実現するか前進しているからです。熊谷スマートシティ事業では、地域電子マネーの導入によるキャッシュレス決済の推進や、高齢者へのスマートフォン貸与が始まりました。また、子育て世代への応援施策として、園児が通う保育園などまでの送迎を行う「熊谷保育ステーション」が開設され、子育て支援・保健施設の整備も進んでいます。

他にも複数の実績を挙げられていますが、とりわけ驚いたのが、「熊谷渋川連絡道路」「利根川新橋」「北部地域振興交流拠点」と、大規模な公共事業を三つも大きく前に進めたことです。これらは市単独で進められるものでなく、国や県との調整が必要な事業です。一体どのように推進してきたのでしょうか?

小林市長 進め方を語る前に、なぜこの三つの公共事業に注力しているのかをお話しします。

話は私が政治家を志した時期にさかのぼります。私は03年に人生初の選挙に立候補し、埼玉県議会議員になったのですが、立候補をする前に先々代の熊谷市長である父から「何のために政治家になるのか?」と問われました。父は「議員バッジを着けるために政治家になるのだけは許さない。何を実現するために政治家になるのかが明確でなければ、立候補する資格はない」と言いました。その言葉が今でも非常に印象に残っています。そこで当時の私は「子どもにツケを回さない!」ことを目的に立候補し、県議になりました。国の借金が1000兆円に達するといわれていた時代でしたから、それを少しでも減らそうという考えでした。

 

しかし、5期18年と県議の経験を重ねていくうちに、考え方が変わっていきました。確かに借金を減らして財政状況を良くすることは重要なのですが、まちの将来に必要なインフラを未整備のままにはしておけないだろうと。住民がまちに対して誇りや利便性を感じたり、外から人が入って来やすくなったりするような状態をつくるには、必要なインフラにしっかりと投資をするべきだと考えるようになりました。

 

小田 それが、「熊谷渋川連絡道路」「利根川新橋」「北部地域振興交流拠点」の三つの公共事業につながっているのですね。

小林市長 事業承継に悩む中小企業に例えると分かりやすいかもしれません。先代の経営者が将来に向けて事業をリニューアルしていなかったり設備投資ができていなかったりしたら、後継者が来ても事業の継続ができません。地方自治体の運営も同じだと思います。将来に向けて、ある程度必要なインフラをしっかり整備するべきです。このような視点で市を取り巻く状況を見てみると、「利根川新橋」の計画は27年間、「北部地域振興交流拠点」の計画はおよそ40年間も塩漬け状態でした。これをしっかりとやり切ることこそが、まちの表情を変えることにつながるだろうと思い着手をしました。

 

「熊谷渋川連絡道路」は、首都高速を熊谷市まで延伸することを、本市が中心となって要望しています。市内には新幹線の駅はありますが、高速道路のインターチェンジはありません。産業誘致という点では不利になるため、「熊谷渋川連絡道路」の区間にまずは高規格道路の事業化が実現するよう取り組みを進めています。

市長コラムにて市民向けに経緯が説明されている(出典:熊谷市)

 

小田 「利根川新橋」は、複数の自治体が建設促進期成同盟会を立ち上げ、20年以上国や県に要望活動を続けてきたと聞きました。首都高速の延伸についても同様の要望活動を行っていたのですか?

小林市長 複数自治体による要望活動は行っていませんでしたが、県議の時代から関係各所へ働き掛けていました。4期目ごろに上尾までの首都高速延伸が決まったため、これはチャンスだと思い、市長選立候補の際の公約に掲げました。市長就任後も要望活動を続けた結果、現在は、首都高速道路の延伸先として準備中の新大宮上尾道路に接続する「熊谷渋川連絡道路」の位置付けが重要物流道路に格上げされました。

 

まちの将来のために必要なハードへの投資

小田 人口減少や税収減の影響で、国や県に対して公共事業の約束を取り付けるのは年々難しくなってきていると思います。国や県と調整するために、どのような働き掛けを行ってきたのですか?

小林市長 県議時代に培った人脈を生かしています。これが私の一番の強みだと思っています。

例えば、「北部地域振興交流拠点」は、一時期「埼玉県5か年計画」から外されていましたが、市長に就任してすぐに県や県議会と精力的に調整を行い、翌年には5か年計画に戻していただきました。県の出先機関が熊谷市内にあるため、市庁舎とまとめる形で「北部地域振興交流拠点」の同一敷地内に設置しようという計画です。市庁舎も県庁舎(出先)も老朽化が進み、更新の必要に迫られています。これを機に行政機関を一つにまとめ、住民の皆さんにワンストップの行政サービスを提供できるよう県と調整を進めています。

 

「利根川新橋」については、橋が架かる埼玉・群馬両県の各自治体の首長の他にも、県議時代の仲間や国会議員の方々も含めて活発な交流をさせていただきました。市長に就任してしばらくは3カ月に1回のスパンで国土交通省を訪問し、いわゆる「営業活動」を行いましたし、国交省から副市長として1人迎え入れ、国とのパイプを強化して側面的支援を頂ける体制もつくりました。

 

小田 公共事業を推進するにあたり、直接人とつながることの影響は大きいですよね。

近年は「ハードよりもソフト」という考えに傾いているようにも感じますが、まちづくりはバランスです。先ほど市長がおっしゃった「将来に向けて、必要なインフラにはしっかりと投資をするべきだ」という考えは、熊谷市の将来にとって重要な方向性なのだと思います。

小林市長 熊谷市に限らず多くの地方自治体では、公共施設の老朽化が進んでいます。建築から50年以上が経過する建物も少なくないでしょう。ソフト事業は住民の暮らしの豊かさをつくるためには確かに大切ですが、古くて傷んだハードばかりがまちにある様子を見て、心が豊かになるでしょうか。それが果たして機能するのでしょうか。やはり、ある程度はインフラの更新をしていかなければ持続可能なまちにはならないのではないか、というのが私の考えです。

 

小田 先ほど市長は、地方自治体を事業承継に悩む中小企業に例えてお話しされました。あの例えがとても分かりやすかったのですが、身近でそのようなご経験があったのですか?

小林市長 父が商売をしていました。私は20代の頃にサラリーマンを辞めて家業を継いだのですが、どうも父は廃業を考えていたようです。従業員は高齢化しており、設備も老朽化していました。目の前の経営に手いっぱいで、未来への投資ができていなかったからです。同じような状態の中小企業は今でも多いでしょう。これがまちづくりにもオーバーラップしたのです。財政状況は健全でも、役所や体育館、その他住民が使用する施設がボロボロだとしたら、若い人たちは喜んでくれるのだろうか、まちに残ってくれるのだろうか、と。そう考えたときに、もちろん無駄遣いはいけませんが、適切な投資はしておかなければならないと思うようになりました。

 

今回特に取り上げていただいている三つの公共事業の目的は、主に産業振興です。「利根川新橋」は渋滞解消や群馬県へのアクセスを向上させる目的があります。「北部地域振興交流拠点」は、埼玉県とのつながりの強化や、県北部の産業振興の中心地としての立ち位置をつくるためです。「熊谷渋川連絡道路(首都高速延伸)」は、企業誘致のための物流利便性確保のために推進しています。どれもまちの将来のために必要な投資です。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年6月3日号

 


【プロフィール】

小林 哲也(こばやし・てつや)

1959年生まれ。中央大経済学部卒業後、83年に岡三証券株式会社入社。86年には家業である有限会社小林瓦店入社。

2003年から5期18年間にわたり埼玉県議会議員を務め、21年11月に熊谷市長に就任。

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