コミュニケーションを土台に支えあい、チャレンジする~吉田信解・埼玉県本庄市長インタビュー(1)~

埼玉県本庄市長 吉田信解
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2023/08/16 コミュニケーションを土台に支えあい、チャレンジする~吉田信解・埼玉県本庄市長インタビュー(1)~
2023/08/18 コミュニケーションを土台に支えあい、チャレンジする~吉田信解・埼玉県本庄市長インタビュー(2)~
2023/08/22 セクショナリズムの壁は「関わり続けて」越える~吉田信解・埼玉県本庄市長インタビュー(3)~
2023/08/24 セクショナリズムの壁は「関わり続けて」越える~吉田信解・埼玉県本庄市長インタビュー(4)~

 


 

埼玉県本庄市の吉田信解市長は2005年、県内最年少の市長(当時、37歳)として、旧本庄市の市長に就きました。旧児玉町との合併を経て、06年に現本庄市の市長に就任。現在は通算で6期目となります。

僧侶としての顔も持つ吉田市長は「人同士のつながり」に重きを置き、都市経営や組織づくりに当たっています。今回は、そんな吉田市長が自身の重要な仕事の一つと位置付ける「コミュニケーション」の在り方について伺いました。(写真1、聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

写真1)吉田市長(上)へのインタビューはオンラインで行われた(出典:官民共創未来コンソーシアム)

 

コロナ禍で「つながり」が希薄に

小田 現本庄市の市長として、5期目のテーマに「支えあいとチャレンジ」を掲げています。相反する言葉が並んでいるようにも見えますが、どのような思いが込められているのでしょうか?

吉田市長 「支えあいとチャレンジ」は、前回(18年1月)の市長選でも掲げた言葉です。

私は寺の住職も務めていることから、思想のベースには仏教があります。人間は一人では生きられません。いろいろな人たちの支えがあって生かされています。だからといって、甘えていればよいというわけではありません。生かされているのであれば、自分も支えてくれる人たちのために何か頑張るのが道理です。

よく「自己実現」という言葉を耳にしますが、私は自分と周りの人たちの両方を幸せにしてこそ、本当の自己実現があると考えています。ですから、私の中では「支えあい」と「チャレンジ」は相反していないのです。

困っている人には、もちろん手を差し伸べます。一方で人には向上心もあります。時には支えられ、生かされているという実感を持ちながらも、自分自身も努力して周りの人たちに貢献していく。そのようなつながりの中で人は生きています。「支えあい」と「チャレンジ」の両方が相まって世の中が良くなっていくという思いを込め、この二つの言葉を並べています。

 

小田 現本庄市の市長として5選を果たした選挙は、新型コロナウイルス禍のただ中にあった22年1月に行われました。コロナ禍をきっかけに、人と人のつながりや「支えあい」について深く考える方が増えたように思いますが、吉田市長はどのように感じていますか?

吉田市長 コロナ禍がもたらした負の面として最も大きいのは、人と人のコミュニケーションが非常に希薄になったことです。

例えばコロナ禍前は高齢者向けのサロンやカフェを開き、おしゃべりを楽しんでもらったり、筋力トレーニングをしてもらったりしていました。超高齢化社会を皆で「支えあい」ながら生活していこうという取り組みが盛んでした。子育て世帯に対しても同様で、さまざまな親子が集まり、交流できる場をつくっていました。このような場で人と人がつながることによって、生きることへの活力が湧いたり、お互いの力が発揮される活動に発展したりするのです。

しかしながら、コロナ禍はそれらをすべて断ち切りました。人々が巣ごもりするような暮らしになってしまいました。

一方でデジタル活用という面では、コロナ禍が社会の進化をもたらしたと考えています。この数年でテレワークや学校へのタブレット端末の導入などが一気に進みました。

とはいえ、人々が直接会う機会が非常に少なくなってしまったことは問題です。支えられている、生かされている、つながりがあるという実感が希薄になるからです。これからの時代はいかにして、このような感覚を取り戻していくかが重要となります。

 

小田 5期目に当たっての訓示でも「アフターコロナの暁には、自治会あるいは小さなコミュニティ単位で、改めて人と人とのつながりを回復し、その輪をさらに広げる、そんな地域ぐるみの支えあい事業を応援して参りたいです」と述べていますね。吉田市長が「人同士のつながり」を大切にしていることがよく分かります。

 

コミュニケーションに徹する

小田 市長就任時のことについて伺います。市議を経て旧本庄市の市長になったわけですが、初めて市役所の内側から市政を見たときはどのように感じましたか?

吉田市長 市議時代は外側から市役所を見ている立場でした。約10年間務めましたから「市役所とはこういうところだ」という認識はある程度、持っていました。しかし実際に中に入ってみると、全く違う世界がそこにはありました。自分自身のマネジメントの課題に突き当たったのです。

これまで青年会議所の理事長や、市議としての活動経験はありました。一方で会社経営など、マネジメントの経験はありませんでした。思いがあって市長になったものの、これだけ大きな組織をどのように先導していけばいいのだろうかと悩みました。試行錯誤もたくさんしました。

 

小田 そんな中で、始めに何をされたのですか?

吉田市長 まずは、やはり人と人とがお互いに理解し合うことが大事だと考えました。そこで職員とコミュニケーションを取ることから始めました。初当選してから就任するまで1カ月近くあったので、その間に当時の全職員にあいさつをしに行きました。そのときに配った名刺には「○○様へ」と、相手の名前を手書きして渡しました。

 

小田 全員にですか! それは驚きです。どんな反応がありましたか?

吉田市長 一人一人とじっくり会話することまではできませんでしたが、後にメールでメッセージを寄せてくれた職員がいました。そこには「かしこまらなくていいですから、市長ご自身が思っていることを定期的に私たちに話してください」とありました。そこからアイデアを頂き、月初に1回、7~8分間ですが、始業前に庁内放送で職員に向けて自分の思いを伝えるようにしました。これは今でも続けています。

 

小田 どんな話をされるのですか?

吉田市長 日頃、職員と会話する中で気付いたことについてです。コミュニケーションを取る上で自分が大事にしていることについても話します。

 

小田 本当にコミュニケーションを大事にされているのですね。

吉田市長 私はマネジメント能力に秀でているわけではありません。ならば何ができるのかと考えたとき、コミュニケーションに徹するのが良いと思ったのです。

 

小田 マネジメントは、どのような工夫をされているのですか?

吉田市長 自分が不得意なことは、得意な方に任せるという意識で人事を行っています。就任して2年がたった頃、当時の副市長が体調不良で辞職することになりました。その副市長からは「庁内に新しい血を入れてはどうですか」とアドバイスを受けました。

そこで、後任には国土交通省の若手キャリア官僚を選任しました。国の大きな組織で動いてきた知見を生かしてほしいと考えたからです。庁内にあつれきが生じることもありましたが、私に足りない部分をしっかりと補っていただきました。結果的にその後、3期にわたり、その方を含めて3人の国交省の方に副市長を務めていただきました。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年7月3日号

 


【プロフィール】

埼玉県本庄市長・吉田 信解(よしだ しんげ)

1967年生まれ。95年から埼玉県の旧本庄市で市議を約10年間務めた後、2005年に市長就任。市町村合併を経て06年に現本庄市の市長となり、通算で現在6期目。真言宗智山派大正院(本庄市)と同大福院(埼玉県深谷市)の住職も務める。

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