アーティストと政治家をつなぐ「場」の提供は、いつから始められたのですか?

 

芸大に入学当初に教授から、「アーティストたるもの、政治とは距離を取れ」と言われたことが、ずっとひっかかっていました。ナチスドイツの時代、その思想を広めるためにアーティストやアート作品が政治利用された、という歴史があり、その反省を踏まえて「政治とアートは距離を取る」という原則があります。それを学んできた私にとっては、アーティストから政治家になること自体、「超えてはいけない一線を意図的に踏み越える」ような覚悟があり、その距離の間で自分なりに葛藤してきました。

直接政治家として何かをしたのは、去年開催された“あいちトリエンナーレ2019”がきっかけです。「表現の不自由展・その後」が政治的に物議を醸しました。作品自体には、私は一言でいえば、傷ついた気持ちでした。歴史的に見ても、政治家がアートに対して発言することは慎重であるべきだと思いますし、世論は「そんな芸術展にお金を出さない方がいい」と言う人が多かった。アートと政治の間で葛藤しながら活動してきた私は、とても複雑な思いでした。しかし文化庁が9月に入って補助金を出さないことを決め、そこからは政治の問題だと感じました。これが前例になってしまうと、アートなど文化への予算が削減される流れができてしまう可能性もあるので、「いま動かなければ!」と思いました。

アートに対して政治の中から扉を開けるイメージで、10月に2度、院内集会(国会議員の執務室がある、衆議院・参議員会館の会議室を借りて行う勉強会)を開催しました。国会の外で行われているデモやSNS等で上げられている声を議員会館の中に持ち込んでもらうイメージで、アーティストたちが今何を考えているかを、賛成反対に関わらず、そして与野党問わず、政治家の方に聞いてもらえたらと思ったのです。

 

南雲議員の作品

 

「若手アーティストやアートマネージャーによる緊急ラウンドテーブル」と題した院内集会には、友人知人のアーティストやキュレーターたち、国会議員、都議会議員、区議会議員の方々にお集まりいただき、文化行政に関する深い議論が叶いました。ただ、与党の方の参加は少なかったので、衆参全議員に「出張でレクチャーに行きます!」というチラシを配り、ご依頼頂いた数軒の事務所に、文化政策の歴史と基本や、そしてアーティストの生の声を、直接説明しに行きました。

プロジェクト名である“project the barb”の、barbは釣り針のひっかかりという意味です。それは私自身が政治家になったときのイメージそのものでもあるのですが、世の中がある方向へグーっと流れていこうとするときに、喉に刺さっている魚の骨のように、そこにアーティストが一人でも政治家として存在することで違和感を与えられるのではないか。一度立ち止まって深い議論をすることは、多様性や文化を守ることにつながるのではないかと考えています。

 

ちなみに板橋区では、アーティストとしての感覚や発想を、どのように文化政策に活かしたいと考えていますか?

 

板橋区にとって、アートや文化はまちづくりに必要だと考えています。私は、例えるなら、板橋区は東京のブルックリン(アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市)だと思っているんです。ブルックリンは、ニューヨーク市の中心地マンハッタンの北部にあり、歴史的建造物も多く、もともとは工業地帯だったそうです。ソーホー地区などマンハッタンにいた数多くのアーティストや流行に敏感な人々が、地価の上昇で1990年代以降、ブルックリンに移り住みました。アーティストやデザイナーが住むことで、ボロボロの家がDIYでおしゃれになって、土地の価値も上がっていきました。

 

ブルックリン
アーティストが集まる街・ブルックリン

 

板橋区は、都心から少し離れて、生活も仕事も大事にできるようなライフスタイルを求める人にとっては、とても魅力的な街になるのではないかと考えています。板橋区はあまり特徴がないと言われますが、「こういう街だよ」というのを提案したい。そこの核になり得るのは、文化やおしゃれさ。そこをもっと磨いていく必要があると思っています。

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