<パブリックで輝くひと> 河野律子さん
元小金井市議会議員/元小金井市役所職員/現武蔵野大学職員
<聞き手> WOMANSHIFT 本目さよ(台東区議会議員)
たぞえ麻友(目黒区議会議員)
Public dots & Company × WOMANSHIFT 特別企画スタート!
終身雇用の時代から、自らキャリアを切り拓く時代へ―。コロナ禍も相まって「多様なキャリア」「多様な働き方」という言葉を聞かない日はないほど、私たちの労働環境は今、転換期を迎えています。一方、日本は少子高齢化、税収減少、地方の過疎化といった社会課題が膨らみ続けている現状もあります。そんな時代を背景に、官と民の双方を行き来しながら社会課題にソリューションを提供できる人材が、これからの日本で持続可能な社会をつくり上げるキーパーソンとなるのではないでしょうか。民間から公務員・議員になる方もいれば、その逆もしかり、さらに官と民の仕事をパラレル(副業・複業)に掛け持つ方もいるでしょう。
これらを踏まえ、PublicLAB(パブラボ)では、官民の架け橋としてパブリックで活躍する方々のキャリアを紹介する特別企画をスタートします。本企画は、「公共を再定義する。」Public dots & Company と 「政策実現できる女性議員を増やすことをミッションとする」超党派若手女性議員ネットワーク WOMANSHIFT が協働し、多様な働き方について深く考え、読者の皆さまにも新しい気づきを得ていただくことを目的としています。
第1回は、小金井市役所職員から小金井市議会議員になられ、市長選を経て、現在は武蔵野大学職員でいらっしゃる、河野律子さん。大学では、入職して1年で法人企画課と広報課の課長の兼務を任され、学内教職員や部下からすでに厚い信頼を勝ち得て、幅広く活躍されています。「今の一番の楽しみは孫たちと遊ぶこと」と穏やかな笑顔で話される河野さんですが、かつて公務員時代には「鉄の女」と呼ばれるほど仕事に厳しく、42歳の若さで部長職にスピード昇進。総務部長、企画財政部長、子ども家庭部長と主要ポストを歴任されました。公務員→議員→大学職員という異色のキャリアをもつ河野さんに、このような道を歩まれてきた理由や想いについて、WOMANSHIFTの本目議員、たぞえ議員が伺っていきます。
すべては市民のために―「鉄の女」として働いた公務員時代
本目 小金井市役所で、総務部長、子ども家庭部長、そして役所の要である企画財政部長といいますと、まさにエリートコースを歩まれていらっしゃったのですね。
たぞえ 出世への思いは、もともとお持ちだったのですか?
河野さん もともと特に上昇志向があったわけではないんです。大学時代に結婚・出産し、娘が2歳の時に小金井市役所へ入職しました。子育てと仕事の両立は大変でしたが、家族の助けもあってなんとか乗り切っていました。最初に配属されたのは課税課。当時は固定資産関係と住民税・軽自動車税など法人市民税を担当しまして、毎日が勉強の日々でした。その後総務課へ異動し、私は法学部出身で好きな分野でしたので、法務を担当しました。役所には不服申し立てや訴訟の仕事って結構多いのですが、地方自治法では「指定代理人制度」というのがあり、弁護士バッチを持っていなくても法廷の中に入って訴訟活動ができるので、非常に興味深く面白い仕事でした。
たぞえ 訴訟や不服申し立てというと、公務員の方は普通嫌がるのかなというイメージでした。そこに興味関心をもって取り組まれていらしたなんて驚きです。
河野さん 法廷で争う内容は黒か白かはっきりしておらず、グレーなことが多いですよね。それならば、いかに主張してこちらに勝利を導き出すかは戦略次第ですし、施策も同様です。
たぞえ WOMANSHIFTのメンバー内でも、法律の扱い方や法的根拠について把握することの重要性について話し合うことがあります。市民との対話やNPOとの意見交換ももちろん重要ですが、役所や議場で法的根拠を示す場面も多いので、法律の知識はとても大事だと思います。法務担当の後は、どんなお仕事をされていたのですか?
河野さん ちょうど住基ネットの時代に市民課へ異動しました。多摩地区では住基ネットの導入に反対する活動も盛んでしたね。その頃私は主任でしたが、当時の課長が体調を崩されたため、課長の代わりに議場に入って、部長の横で答弁メモを作って渡していました。その後は、また総務課に課長補佐として戻りました。当時、管理職に昇進した中で一番若い管理職でしたね。再び法務を担当しましたので、各部署の各事業に関連する法令や法令適合性に精通していきました。このおかげで市役所全体の業務に詳しくなり、42歳で部長職に昇格しました。「部長になるぞ!」という強い気持ちで昇格したわけではなかったです。
たぞえ 管理職になると議会対応もされたんですよね。
河野さん そうですね。主任の時から議場に入っており、いきなりの答弁ではなかったため、雰囲気がわかっていて助かりました。公務員時代はかなり仕事に厳しかったので、「鉄の女」と呼ばれていましたね(笑)
市議としてオールマイティーに活躍し、市長選にも挑戦
たぞえ 議会の大変さもよくご存知だった中で、2017年になぜ市議会議員選挙に出馬されたのですか?
河野さん まず2015年の市長交代が大きかったですね。ガラッと体制や政策が変わり、議会も行政もスムーズにいかなくなっていました。私自身は26年間、市役所でいろいろな経験をさせていただいたので、これ以上ここにいても自分の経験を活かせる機会も少ないのかなと考えまして、当時は民間へ行こうと思っていました。そんな時に、地元の議員さんが急遽出馬しない形になり、私のところに話をいただいたという流れです。市政や議員活動のことは重々承知しておりましたので、もちろん悩みましたが、違う立場で市政を牽引していければと思い、立候補した次第です。
たぞえ 選挙って見るのとやるのとでは大違いですよね。自分の顔が町中にみたいな(笑)
河野さん ポスターはクセになりますね(笑) 増えてくのが嬉しくて。貼れそうな場所を見つけると、勝手に体が動いていました。選挙カーに乗って手を振るクセもなかなか抜けず、自家用車に乗る時に間違えて手を挙げてしまったこともあります(笑)
たぞえ わかります!私はいまだに慣れないですが(笑) 市議会議員になられて、答弁する側から、答弁を引き出す側に立たれて、違いはありましたか? 議員同士の関わりや、議会内の実情などに驚かれたことはありましたか?
河野さん 議会ではほとんどの場合、部下だった職員が答弁するので、攻め込んじゃまずいよなとか、遠慮してしまいましたね(笑) でも、落としどころまで見えるので、事前にかなり調整しました。部下たちも誤魔化せないですし、中途半端なこと言ったら「こうすればできるでしょ」と私に反論されてしまうので、やりづらかったかもしれません。
たぞえ 「落としどころ」という言葉、さすがです。私も、職員に攻め込むだけだと良い答弁が出ないし、前に進まないなと思い、否定されないテーマや回答の方向性を意識した質問づくりをしています。落としどころというのは、何に配慮するといいのでしょうか。
河野さん やっぱり行政って限界はあるんですよね。民間みたいに即断で動いていくものではないですし、すべて公金で賄われます。ある程度の縛りがある中で、徐々に回していく部分も大きいです。ただ、そればかりだと政策として進んでいかないので、事前の調整はあった方が進んでいくと思います。そうすると職員からも「話の出来る議員さん」という見方をしていただけますし、実際に政策が前に進むはずです。パフォーマンスとして職員を責めても、何の意味もないと思います。
本目 いまのお話、私も含めてWOMANSHIFTのメンバーにぜひシェアしたいです。
たぞえ 議員活動では、どの分野に注力されていたのですか? ほとんどすべての分野に精通されていると思いますが、一般質問では時間も限られますよね。
河野さん どの分野も内情を把握していましたので、何かに特化してはいませんでした。保育園・幼稚園、道路、公園、防災関係など、様々な分野について質問しました。私は総務部長の頃に、職員の給与カットと職員の削減・委託を進めた実績がありましたので、小金井市の財源が限られる中で、職員の給与を上げたいなら一部を外部委託化して削減できた分の金額を充てるべき、と主張したこともありました。東洋経済オンラインによると、東京都内での小金井市の公務員給与は「5位」と上位です。現市政では、その反面、公民連携・事業の委託化は進んでおりません。これも、税金で賄われているものです。道路関連でいえば、小金井市は道路が狭いので、都道との拡幅協議について質問したり、道路の表面のコンクリートのひび割れについて修繕を求めたり。分野問わず、幅広く質問していましたね。
たぞえ 本当にオールマイティーですね。私にとっては理想といいますか、議員だとどうしても役所の中の事情がわからなくて。じっくり話せば職員の方も実情を教えてくれますが、そこまで深く掘り下げるのに時間がかかってしまいます。そういう意味では、市の職員から市議というキャリアパスは理にかなっているのかもしれないですね。
本目 市議としてしばらくご活躍されるのかなと思いきや、そこから2019年に市長選挙に出馬されますよね。すごく覚悟がいるものだと思うのですが、どんなお気持ちで出馬されたのですか? また、市議になられる時から、市長選も見据えていらっしゃったのでしょうか。
河野さん そうですね。市議というよりも、市政を担いたいという思いは、市議になる前から自分の中にありましたね。私は前の市長(稲葉孝彦元市長)の下でずっと働いてきて、 朝から晩まで働かれる姿、「すべては市政、市民のために」という姿勢に、薫陶を受けてきました。その頃の仕事はやりがいがあり、本当に楽しかったです。自らのパフォーマンスを展開する者が多い中で、滅私で働く前の市長のように、市政を牽引したいという気持ちがあったのかもしれません。市長は、決断する職です。決断するのは、「市政のため・市民のため」。議員の時は、執行権がないので、決断できないのがつらいなと思っていました。正直、2期目の現職との闘いは厳しい選挙になるだろうなとは思っていたのですが、「やる時はやらなきゃいけない」と決意し、出馬しました。残念な結果にはなってしまいましたが。