パブリックで輝くひと【第2回】海外で気づいた日本を幸せにしたいという熱意、3.11で芽生えたエネルギー政策に立ち向かう決意

<パブリックで輝くひと> 本田朋さん
元福島県議会議員
現外資系エネルギー会社 Northland Power
ガバメントアフェアーズ・シニアマネージャー (国際エネルギー政策担当)

<聞き手>
WOMANSHIFT 本目さよ(台東区議会議員)
たぞえ麻友(目黒区議会議員)

 

官民の架け橋として、パブリックで活躍する方々のキャリアを紹介する新企画「パブリックで輝くひと~多様なキャリアが社会を動かす~」。第2回のインタビューは、アメリカの大学、イギリスの大学院を卒業され、20代はフランスとドイツでサラリーマン、30代は日本に帰国して福島県議会議員、40代は外資系企業と、海外と日本、議会と民間、そのすべてのステージで活躍されている、本田朋さんです。海外から見た日本、民間から見た議会は、本田さんの目にはどのように映ったのでしょうか。どのような想いで、ステージを変えながら活躍を続けているのでしょうか。

ヨーロッパから見た日本の姿

たぞえ 本田さんのご経歴を拝見しますと、学生時代から20代を海外で過ごされて、2005年に日本に帰国。すぐに福島県議会議員選挙に出馬されていますが、なぜ帰国して県議になられたのですか?

本田さん もう20年以上前のことになりますね。20代だった私は、当時日系企業の会社員でドイツに駐在していました。もともと政治に対する意識や興味があって、イギリスの大学院では国際政治学・国際関係学を学んでいたという背景もあるのですが、2000年代、ちょうど私がヨーロッパに住んでいた頃に、EUでは通貨統合という大きな出来事があったんです。その時に、政治や経済のダイナミズムを肌で感じることができました。国と国が利害関係や言語・文化の違いを超えて経済を統合し、一つの中央銀行で経済政策や金利を決めてしまう連帯感に感動したんですね。

私の実家は福島県なのですが、年末年始などに一時帰国すると、地元の仲間と政治や選挙の話になることがありました。「政治家って若い人がいないよね」と仲間が言うんですね。親族にたまたま県議会議員がいまして、世襲ではないのですが、私の苗字は地元で少し有名だったんです。そんなこともあり、「あなたが議員になればいいんじゃないの?」という話にもなりました。その時の私は「議員というのは、地元でずっと活動していないと駄目なんじゃないのかな」と思ったのですが、ドイツに戻って、ドイツ人やフランス人の同僚にその話をしてみると、「君なら総理大臣になれるよ!もし日本に帰ったら総理大臣になってくれ」と言うわけです。当時29歳。若気の至りで、私もだんだんその気になっていくんですね(笑)そして30歳を機に、会社に辞表を出し、徒手空拳でドイツから帰国して、県議選に出馬したというのが経緯です。

ドイツにて友人とバーベキュー。よく友人と話したテーマは「政治」でした

ドイツにて友人とバーベキュー。よく友人と話したテーマは「政治」でした

 

たぞえ そんな経緯があったのですね!やはり海外から日本を見ると、日本にずっと住んでいる人よりも、客観的に日本という国の特徴や改善すべき点が見えてくるのでしょうか。

本田さん あの当時の日本は、ちょうどバブルも弾けた後で、ドイツでは日本のニュースが流れることはほとんどありませんでした。たまにニュースで見るとしても、ネガティブなニュースばかり。

それとは逆に、私の20代って、かなり幸せだったんですよ。仕事は楽しいし、同僚や友人はめちゃめちゃ良い人が多かった。ドイツは、イメージほど物価が高くなく、生鮮食品が美味しくて、道路も風景も綺麗、社会保障も手厚く、医療費もタダと、とにかく住みやすい国なんです。「日本からはネガティブなニュースばかり流れてきて、自分の家族や友人はそんな日本で暮らしているのに、自分はドイツでこんなにも幸せに暮らしていていいのだろうか。この幸せを日本社会に還元するべきなんじゃないか」と、そんなことを思ったんですね。海外に長くいたおかげで、冷静な目で日本社会を見つめ直すことができ、自分みたいに珍しい経歴をもつ人が政治家を志すのもアリなんじゃないかなとも思いました。

福島県議3期10年、そして3.11を経て―

たぞえ 福島県議は、3期10年務められたのですよね。10年間を振り返ってみるといかがですか?

本田さん 私の場合は、31歳で県議になったので、群を抜いて最年少だったんですね。福島県では、55歳くらいまで「若さ」をキーワードに出馬される方が多い中で、突然の31歳。若いどころか、ハイハイしている赤ちゃんが間違って中学校に来ちゃったみたいなイメージですよ(笑)そういう意味では、与野党を問わず議会の先輩からも、県庁の職員さんからも可愛がっていただきました。ただ、福島県議会は日本で一番古い、歴史ある県議会。12年間海外にいた若者が突然帰国して議員になって、すごく応援してくださる地元の友人や同級生もたくさんいましたが、市民の中には「そんな奴は面白くない」と思われる方もいました。「あいつは海外にいたことや大学院卒なのを鼻にかけている。私たちを見下している」と言われたこともありました。私も若かったですし、よく言い返してしまったのは良くなかったですね。本当は故郷の役に立ちたかったし、地元の方々を心から尊敬していたのですが…。

たぞえ 県の政策についてどう考えているかを聞いてくださったら、いくらでもお話しできたのに、と思ってしまいますね。

本田さん そういった話を聴いていただけるほど、地元の方々と仲良くなることができませんでした。自分の選挙区での立ち振る舞いは、とても難しかったです。10年間議員を務める過程で、政治に対する自分が思い描いていた理想と現実のギャップに幻滅したといいますか、限界を感じてしまった部分もありました。民間に戻った今考えると、当時もう少し我慢できていれば、社会に対するいろいろな貢献の仕方もあったのかもしれないと思いますが、当時は正直、政治に疲れてしまい、結局4期目は出馬しませんでした。ただ、3期目の最後に、福島県の復興計画の策定まで見届けることができたので、未練もないです。

福島県議会の議場にて

福島県議会の議場にて

たぞえ 議員時代にはエネルギー政策に取り組まれ、現在のお仕事もエネルギー関連だと思いますが、エネルギーという軸で動かれてきたのでしょうか?

本田さん 現在、外資系のエネルギー会社に勤めていますが、実は3.11を迎えるまで、エネルギーに関してあまり興味がなかったんです。3.11以前は、財政、まちづくり、福島のブランド力などを政策に掲げて活動していました。でも、実際に原発事故に遭って、県議として事故対応に取り組み、放射能という目に見えない敵と闘うこととなりました。そんな中で、県内外の方々、特に子育て中のお母さんから相当厳しい言葉をいただきました。「自分の子どもに放射能が中長期的に影響を与えるんじゃないか」「あなたは原子力政策に毎年賛成してきて、今は私たちを避難させてくれない。あなたのことはもう絶対に応援しない」「私は九州に避難した。あなたみたいな無能な政治家のいる福島にはいたくない!」や、その他たくさんの誹謗中傷が来ました…。でも私も申し訳ないと思うのと同時に、人類はエネルギー政策についてもっとしっかり考えないといけないという気持ちも沸きました。

海外メディアからも、福島の原発事故は大変注目されました。人類にとっての原発事故といえばチェルノブイリですが、福島も同じようなインパクトがあったからです。あの時、県議は58人いたのですが、海外のメディアからすると私が目立つわけで、SNS経由でアメリカやイギリス、フランスのメディアなどからインタビュー依頼をいただき、福島の状況をご説明しました。その後、私のインタビューを見た、国連の方や世界銀行の方からもご連絡をいただいて詳しいお話をしたり、シアトルで行われた米日財団主催の「危機下におけるリーダーシップ」というパネルディスカッションにも参加させていただいたり、さらにアメリカの大学からも声が掛かって講演するなど、自分の意思とは関係なくどんどん世界が広がっていきました。これは自分にとって予想外の出来事でしたね。

たぞえ なるほど、3.11がきっかけでエネルギー政策に深く関わるようになられたのですね。そのご経験から、現在のお仕事につながっていくのでしょうか。

国連のSDGs、あるいはESG(環境・社会・ガバナンス)の観点から、今、欧州では、再生可能エネルギーの中でベース電源(メイン電源)となろうとしている「洋上風力発電」を推進する流れがあります。今私はその洋上風力発電の仕事をしているのですが、今の会社から、ウチで仕事をしてみないかと声をかけてくれたカナダ人の役員の方がこう言ったんです。「あなたは、人類のエネルギー史上の大きな転換点である、福島の原発事故を経験しています。あなたの経験を活かして、今度は違うエネルギーの発展、新しいクリーンエネルギーの世界的な普及に力を貸してくれませんか?」と。それを聞いた私は、「なるほど、人生っていろんなきっかけや、きっと運命的な意味があるんだな」と思ったんです。私は若気の至りで、総理大臣になるつもりで日本に帰国したのに(笑)、3.11で挫折して、また違う運命の流れに乗って、今は再生可能エネルギーの世界的な普及に尽力している。3.11は経験したくなかったですが、一日一日真摯に政策を勉強していれば報われることもあると思いました。

オランダ北海沖の洋上風力発電プロジェクト

オランダ北海沖の洋上風力発電プロジェクト

 

たぞえ 現在のお仕事に就く前までは、公共政策や官民連携、新規事業などにアドバイスをするお仕事をされていたのですよね?

本田さん そうですね。都内の外資系コンサルティング会社に勤めていました。クライアントの外資系企業さんが日本でビジネスを行うにあたって、日本の法令を理解した上で日本のマーケットに進出するための支援をしたり、どういった商品やサービスがどういった法令上のリスクを抱えているのか調査したりと、様々な案件を扱っていました。印象に残っている案件としては、ある外資系企業さんが「日本の〇〇村に進出したい」という希望があって、村長さん、村議会議員さんについて調べたり、新聞やネットに載っていないような現地の情報をリサーチしたりして、とても面白い仕事でした。私は自治体担当だったので、日本全国のいろいろな自治体の職員の方や議員さんと話すことができたのも面白かったですね。

たぞえ 政治・行政と民間、海外と日本という両サイドの視点を知る本田さんだからこそできるお仕事ですね!

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