「土徳」が人を支え、まちをつくる~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(2)~

富山県南砺市長 田中幹夫
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2023/08/30 「土徳」が人を支え、まちをつくる~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(1)~
2023/09/01 「土徳」が人を支え、まちをつくる~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(2)~
2023/09/05 言葉を重ね、「一流の田舎」を目指す~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(3)~
2023/09/08 言葉を重ね、「一流の田舎」を目指す~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(4)~

 

小さな成功事例を共有する

小田 地域の主体性を重んじるまちづくりでは、具体的にどんな動きが出てきていますか?

田中市長 日本遺産に指定された井波エリアでは、面白い動きがどんどん出てきています。先ほど触れた山川夫妻によるゲストハウスのオープンを機に、地域の不動産業者がまちづくりに加わりました。さらに、若い人たちも「ジソウラボ」という組織をつくって加勢したことで、地域にない業態を、空き家を活用して誘致する動きが広がりました。その結果、7年間で約40軒の空き家が店舗に生まれ変わりました。パン店、カフェ、クラフトビール店、旅館などです。

 

小田 小規模多機能自治がうまく機能している理由は何なのでしょうか?

田中市長 やはり、庁舎が統合でなくなるというショックが大きかったのではないかと思います。特に年配の方にとっては、あり得ない話だったのではないでしょうか。一方、若い人たちは「庁舎があるからまちが栄えるのではない」という感覚をつかんでいました。そのジェネレーションギャップがあらわになったことも「考えるきっかけ」の一つです。

小規模多機能自治を進める中で、当初はやはり世代間の対立があったかもしれませんが、そこにさまざまな立場の方が交じりながら意見をまとめ上げ、まちづくりを前へ進めてきました。井波エリアの成功事例やプロセスを見て、他のエリアでも「こうすればうまくいく」という感覚が広がってきているように思います。

 

小田 地域同士で情報共有することもポイントの一つですね。

田中市長 「小さな成功事例をどれだけ見つけて広げるか」が大事です。地域同士で競争させるよりも地域ごとの状況、つまり「できていること」と「できていないこと」の共有を重視しました。

新型コロナウイルス禍の影響で集まって会議を開くことができなかったため、市がそれぞれの地域づくり協議会にオンライン会議システムを提供しました。常に情報共有を行っていると、それぞれのまちづくりの先行事例やアイデアから次のヒントが得られます。

 

小田 地道なコミュニケーションがまちづくりの基盤になっているのですね。

田中市長 まちづくりの中間支援組織の方々が各地域を回り続け、住民と行政の架け橋になってくれています。市も中間支援組織を支援しており、強い信頼関係ができています。

ある地域づくり協議会のトップいわく、「市長が何もできないから私たちがまちづくりを行う」のだそうです。私が目の前にいるときのスピーチで、こんなことをおっしゃいます。私はそれに対し、「市長は何もやらない方がいいですが、きちんと支えます」と返します。住民と中間支援組織、そして市の間で、このような関係性が築けているのは良いことだと思います。

 

小田 周囲が自発的に動いてリーダーを支えるという、「皆が一つになろうと思わせるリーダーシップ」ですね。

 

「指示するリーダー」から「支えられるリーダー」へ

南砺市井波(イメージ)

 

小田 田中市長は就任当初から、庁内でも「支えられるリーダー」だったのですか?

田中市長 最初は職員にあれこれと指示したり、「私はこう思う」と強く主張したりしていました。そんな折、私を支えてくれた当時の部長から「すぐに地域中を回りましょう」という提案がありました。「誰もが市長を支持しているわけではありません。50%くらいの支持率だと考え、地域の声を聞いて回った方が良いです」とのことでした。

それからすぐに31ある地域の巡回を始めました。1日2~3時間、部長と2人で回って住民の意見を伺いました。それも1回だけにとどまらず、2年間かけて3周しました。

1周目は、私に対するお叱りや行政への苦言を頂くことがよくありました。それが2周目になると、こちらの意見に耳を傾けてくださる方が増えました。3周目では、お褒めの言葉を頂くこともありました。コミュニケーションを続けた結果、住民の気持ちに変化が出てきたように感じました。

その様子が職員にも伝わっていったのか、厳しい言い方で統制せずともよくなりました。住民が背中を押してくださったのだと思っています。

 

小田 住民の市長に対する態度が変わったことで、庁内にも安心感が生まれたのですね。その後、職員にはどんなアプローチをしたのですか?

田中市長 どんどん新しいことに挑戦できる組織にしようと呼び掛けました。合併の影響で組織全体が萎縮しているような印象を受けたので、その閉塞感を打破したかったのです。まずできることとして、課や係の名称を変えました。例えば「南砺で暮らしません課」のように、自分たちの仕事を分かりやすく一言で表すのです。その面白みのある響きに若い人たちが反応し、関わるようになってきたときに、まちづくりがようやく動き始めた実感がありました。

 

小田 南砺市のまちづくりの根底に「土徳」があることが見えてきました。まちにはさまざまな考えを持つ方がいらっしゃいます。しかし、根底に「土地の自然や人々に感謝し、支え合う」という「土徳」の精神があることで、開かれたコミュニケーションが実現し、発展的な取り組みへとつながっているのですね。

次回も引き続き、田中市長の「支えられるリーダー像」に迫ります。

 

(第3回に続く)

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年7月24日号

 


【プロフィール】

富山県南砺市長・田中 幹夫(たなか みきお)

1961年、富山県利賀村(現南砺市)生まれ。民間企業勤務を経て89年に帰郷し、利賀村職員となる。2004年南砺市議に初当選。08年南砺市長に初当選し、現在4期目。

スポンサーエリア
おすすめの記事