言葉を重ね、「一流の田舎」を目指す~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(4)~

富山県南砺市長 田中幹夫
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

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時代や環境の変化に合わせた柔軟な組織づくり

小田 市長として、どのようなコミュニケーションを通じ、市役所の組織をつくってこられたのですか?

田中市長 市長になったのは47歳のときです。かつて利賀村役場で働いていた頃の上司たちが市役所にいましたが、私は職員とはあくまでもフラットに、真剣に向き合ってお話しさせていただきました。

初代の副市長には元職員の方に就任していただきました。その方は現役時代に職員からの信頼がとても厚かったのです。副市長になってからも私と職員の間に入り、さまざまな調整をしていただき、私の思いや考えを職員に伝える役割を担ってくれました。

 

小田 最近は住民から改革を期待され、民間から首長になる方が増えています。しかし、役所内の状況を十分に把握できていない中で最初に行う副市長人事に、頭を悩ますことも多いようです。

田中市長 50歳未満で当選した市長が所属する全国青年市長会でも、そのような話をよく耳にしました。私が所属していた頃のメンバーは、現職を退けて就任した首長ばかりでした。議会がほぼ野党という方が多く、副市長をはじめとする人事案や予算案がことごとく通らないという状況を見てきました。

そうしたこともあり、初代の副市長は職員と距離が近く、よく見てくださる方が適任ではないかと考えました。幸いにして私の場合は、議会の全員から副市長人事について賛成を得られました。きっと議会は「田中は危ないけれど、あの人が副市長なら大丈夫だ」と思ったのでしょう。初代の副市長はそれほどの人格者でした。

 

小田 田中市長は2016年に「こども課」を教育委員会へ移管したり、農商工・観光・文化の部門をブランド戦略部へ統合したりするなど、組織改革を進めました。

田中市長 こども課は現在、市長部局の総合政策部に戻しています。教委へ移したのは、保育と教育の分野に共通した課題意識があったからです。それは、幼児保育から就学まで一体的に見ていけないかというものです。

ちょうどその頃は保育園の建て替えや統合を進めている時期で、今後の保育の在り方について議論が深まるタイミングでした。そこで子育てに関わる保育園と教委が、情報の連携や共有をしやすい環境をつくったのです。

 

小田 こども課を総合政策部に戻したのは、どのような理由からでしょうか?

田中市長 こども課を教委に移管したことで、教委には「子育てを保育の段階から一体的に見る」という意識が生まれました。そこで、今度は子育て支援を地方創生の分野から行うため、総合政策部に移管しました。

実は2年ほど前、市内に念願の小児精神科クリニックをオープンすることができました。これは医療課の担当です。一方、子育て支援については保育園や教委のみならず、民生も関わってきます。保育園行事は企画や地方創生の部門が関与します。このように、子育て支援には常に複数の組織の連携が欠かせません。情報連携がよりスムーズになるよう、市長部局の真ん中にある政策推進の部にこども課を入れた方が良いと判断しました。

市は昨年12月に「こどもの権利条例」を制定しました。今年4月にはこども家庭庁もできたことから、子どもたちが中心のまちづくりを進めていきたいという意図があります。

 

小田 時代や環境の変化に合わせ、柔軟に対応されているのですね。ブランド戦略部についても伺います。

田中市長 「南砺市の『売り』は何ですか?」と問われたときに、以前は「世界文化遺産に登録された五箇山合掌造り集落があります」と答えることがほとんどでした。しかし、その他にも宝物がたくさんあります。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産「城端曳山祭」に、「白山ユネスコエコパーク」という大自然。利賀エリアの演劇、日本遺産に登録された井波エリアの彫刻に加え、「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」という音楽の祭典も毎年開催しています。これら南砺市が持つ魅力をトータルで考えていくべきだと思い、観光・文化の部門をブランド戦略部へ統合しました。

「ブランド戦略部」という名称は、「何か面白いことをする部署」という第一印象を与えます。名刺に印字するだけで、職員の意識が変わりました。名は体を表すと言いますが、その通りだと思います。

 

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言葉が大事

小田 前回に伺った「土徳」、そして今回の「公平性」「住民幸福度」「住民満足度」。田中市長が言葉と、そこに含まれる意味を大切にしている姿勢が伝わってきました。「ブランド戦略部」もそうですね。

田中市長 言葉を大事にして、それをいかに伝え続けるかというのが私たちの仕事です。先ほども申しましたが、私は市民に「幸福度と満足度を高める」と伝え続けました。心を芯から豊かにするような「一流の田舎」を目指そうと。

 

小田 「心を芯から豊かにするまちづくり」は、どのように進めていこうと考えているのですか?

田中市長 芸術文化をまちづくりの中心に据えようと考えています。経済と芸術文化は表裏一体だと捉えているからです。経済が盛り上がると当然、暮らしは豊かになりますが、心を芯から豊かにするのは大自然や、舞台・映画・音楽などの芸術文化ではないでしょうか。特に自分たちの地域で育つ芸術文化に触れることは、感性を磨く上でとても大事だと思います。

また、利賀エリアと東京都武蔵野市の「交流」は40年以上続いています。都会の子どもたちに利賀エリアに来てもらい、地元の子どもたちと交流する行事です。2021年からは1年単位で親元を離れ、利賀で学校に通う長期留学も始めました。これはお互いにとって良い刺激になっており、子どもたちの様子が見違えるほど変わります。都会の子どもたちは自然や文化に触れて生き生きとしますし、地元の子どもたちは自分たちの地域の魅力を再認識します。

このような都市との交流を他のエリアでも実施しようとしています。子どもの頃にこうした体験をして感性を磨けば、将来大人になったときの幸福度につながってくると思います。もはや南砺市のためというより、日本の将来のために取り組むつもりです。

 

「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」

小田 今のお話を聞いて「この人を応援したい」という気持ちが湧いてきました。これが「支えられるリーダーシップ」なのですね。

田中市長 私は若い人たちが中心になって、まちを動かしてほしいと考えています。もし若い人たちが壁にぶつかったときには、話を聞いたり関係者との間に入ったりします。その際、私がやることは「思いを語る」ことです。まちづくりに関わる人たちは私の使い方がうまく、要所要所で私を登壇させていますね。

 

小田 これも言葉の力ですね。

田中市長 住民の言葉に勇気づけられたこともあります。市長になって、すぐに地域を巡って住民から話を伺っていた頃のことです。行く先々で厳しい声を頂きながらも、とある地区の対話集会に参加しました。その場でも私に対し、さまざまな要望や陳情があったのですが、住民の一人が手を挙げ、こうおっしゃったのです。

「もう皆さんね、時代は変わるんだ。田中市長が今からやることについて思うこともあるだろうけれども、私たちも変わらなきゃならない。ないものねだりはやめましょう。あるもの探しをしましょう」

その言葉はいまだに私の中に残っていて、まちづくりの協議の場面でよく使わせていただいています。

 

小田 とても腹落ちする言葉です。「人が減ったから増やそう」「女性が減ったから増やそう」と、ないものに目を向けても本質的な取り組みにはつながりません。

田中市長 人口減少には原因があります。「選ばれないまち」になっているから人が増えないのです。私はそのことを住民の前で包み隠さずに話します。

中には「地域に対して失礼だ」とおっしゃる方もいますが、企業の採用活動と同じで「選んでもらうための態度や発信」が大事なのだと伝えます。南砺市を多くの方に選んでほしいと思っているからこそ、皆さんにとって不快に感じることもお伝えしているのだと。すると「最初は地域を敵に回したのかと思ったけれども、そういうことだったのか」と理解を示してくださいます。

 

小田 いきなり施策を実行するのではなく、まず根本に向き合うことから始めるのですね。

田中市長 何事も「間」が大事ですから。間がないと「間抜け」な政策になります。ですから、これからも言葉の力で「間」を取り持つことを大事にしていきたいです。

 

【編集後記】

南砺市のまちづくりは、言葉の力で進められてきました。「土徳」「幸福度と満足度を高める」「ないものねだりではなく、あるもの探し」。力強く、かつ本質を突く言葉の数々が、今後も市のあらゆるエリアで積み重ねられていくことでしょう。

 

(おわり)

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年7月31日号

 


【プロフィール】

富山県南砺市長・田中 幹夫(たなか みきお)

1961年、富山県利賀村(現南砺市)生まれ。民間企業勤務を経て89年に帰郷し、利賀村職員となる。2004年南砺市議に初当選。08年南砺市長に初当選し、現在4期目。

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