秋田県仙北市長・田口知明
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事・小田理恵子
2024/12/4 責任世代として、良い状態の故郷を次世代に~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(1)~
2024/12/5 責任世代として、良い状態の故郷を次世代に~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(2)~
2024/12/10 「幸福度全国No.1のまちづくり」を~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(3)~
2024/12/12 「幸福度全国No.1のまちづくり」を~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(4)~
秋田県仙北市、田口知明市長のインタビューを全4回でお届けします。
2021年10月からまちのトップを務める田口市長の原動力は、「次の世代に良い状態のまちを残したい」という強い思いです。山積する地域課題を解決すべく、地域住民や職員と粘り強くコミュニケーションを続ける市長の背景には、どんなエピソードが隠れているのでしょうか。詳しく伺いました。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)
田口市長(上)へのインタビューはオンラインで行われた(出典:官民共創未来コンソーシアム)
経営者感覚で市の財政に切り込む
小田 田口市長は民間企業の経営者の立場から仙北市長選挙に立候補し、政治経験のある対立候補を抑えて当選されました。まずは未経験の政治の世界に飛び込んだ理由をお聞かせください。
田口市長 市長になる前は、祖父と父から受け継いだ木材加工業をはじめ、食品加工業の経営に携わっていました。地域の皆さんから支えていただきながら事業を続ける中で、だんだんと地域が縮小していく様子にこのままではいけないという思いが強くなりました。50代の責任世代として、次の世代に良い状態の故郷を残していこうと奮い立ち、政治の世界に飛び込みました。
小田 就任後、市政の内情を見た時にはどう感じましたか?
田口市長 立候補した時点で市の財政状況は厳しいだろうと思っていましたが、実際に庁内に入ってみると、ますます逼迫している状況が見えてきました。長らく民間の経営者をしてきた私からすると、このままでは財政破綻することが予想できました。まずはこの危機感を庁内で共有することから始めなければと思いました。
小田 自治体の会計制度は単式簿記を採用しているため、現金の出納は見えますが、事業ごとの経費や利益などは見えてきません。どこにボトルネックがあり、何をすれば改善するのか、意思決定や評価をしにくい制度です。そうした中、危機感を共有するのは大変なことだと思います。
田口市長 おっしゃる通り、危機感の共有が最も難しいと今でも感じます。厳しい財政状況の中でも何とかやってきた実情がありますから、職員の皆さんに危機感を伝えて理解してもらうには根気が必要だと思いました。
市長就任後に、佐竹敬久秋田県知事にごあいさつに伺った時にも同様のアドバイスを頂きました。「行政は民間企業と違って動かそうとしても簡単には動かない。山を動かすようにゆっくり動かすこと」という趣旨でした。市長という立場とはいえ、私一人では何もできません。特に部長級職員とはしっかり意思疎通を図り、ベクトルを揃えていく必要があります。
そこで月に1〜2回の頻度で、部長級職員と政策調整会議を行うことにしました。これは今でも続いていて、今年10月で丸3年になります。会議では、私の考えを伝えるとともに、各部が直面している課題と、その解決策および進捗を共有してもらっています。この取り組みを続ける中で、幹部職員には私の抱いている危機感が少しずつ共有されてきたように思います。
小田 今の財政状況について、職員の皆さんには具体的にどのような伝え方をされるのですか?
田口市長 仙北市の財政は切実な状況にあります。長らく財政調整基金を取り崩しており、基金の金額はどんどん少なくなっています。私はこの状況を「家族で外食に行ったシーン」に例えて話すことがあります。財布の中に1万円しか入っていないのに、1万5000円分の食事をしたとします。足りない5000円は貯金を切り崩して支払うことになります。これを続けていたら、いつか貯金はなくなるでしょう。仙北市の財政はこの例え話と同じ状況だということです。
このままのペースで行けば、あと何年後に財政調整基金が枯渇するのか。そうなったときの現実的な対処として、事業の数を減らしたり、職員の給与を減らしたりしなければならない事態が想定されること。このような現状をしっかりと受け止めてもらい、今のうちから手を打つ必要があるという話をしています。
具体的には、各部局に年間の予算と事業計画を明確にした「経営方針シート」の作成と提出をしてもらい、数字の把握に努めています。
小田 「経営方針シート」の導入によって、幹部職員の数字を見る意識に変化は表れましたか?
田口市長 徐々にですね。私は経営者でしたので、数字を追うことはある意味当たり前の感覚でいます。会社が潰れたら当然自分が責任を取らなければなりませんし、家族や取引先、従業員の皆さんにも多大な迷惑をかけます。少々オーバーな表現かもしれませんが、日々命懸けで仕事をするのが通常の姿勢です。自治体という安定性の高い組織に所属する方にとっては、このような意識を自分ごと化するのはなかなか難しいのかもしれません。民間と空気が全く違うと感じます。
負の遺産を次世代に残さない
小田 仙北市では庁舎機能の移転・集約について議論が進んでいます。これも財政健全化に向けての取り組みだと思いますが、議会や住民の皆さんからの反応はいかがですか?
田口市長 庁舎の移転・集約についての議案は意見の調整が続いています。
仙北市は平成の大合併で旧田沢湖町、旧角館町、旧西木村の2町1村により誕生したまちです。ところが、角館と田沢湖は昔から地域間で意見の対立が起こりやすく、合併の直前に角館が一旦協議から離脱する事態になりました。ギリギリのタイミングで旧角館町の町長選挙があり、そこで当選した合併推進派の町長が協議会に復帰したことから、2町1村で合併することとなりました。
こういった経緯があるまちなので、田沢湖地区、西木地区の人たちは、「角館地区はかつて離脱と復帰で合併協議を混乱させたのに、大きな顔で振る舞わないでほしい」という心情を持っています。
しかし実際には角館地区が最も人口が多く、市議会議員の多数が角館地区の方です。また、仙北市庁舎は「田沢湖本庁舎」「角館庁舎」「西木庁舎」と三つありますが、角館庁舎が先んじて建て替えにより新しくなりました。新たな公立病院も角館にできました。このように、田沢湖地区、西木地区の人たちからすると、「角館地区に全て持っていかれる」ように見えてしまうのです。
現実に目を向けると、田沢湖本庁舎は築約50年の老朽化が進んだ建物です。また、角館地区の「旧角館総合病院」の建物も、解体されずにボロボロの状態で残っています。これらを放っておくことは、修繕維持費や解体費など、負の遺産を次の世代に残すことになります。
これは何とかしなければと思い、合併特例債を活用して田沢湖本庁舎の機能を旧角館総合病院の場所に移し、病院の建物を解体する案を議会に提出しました。本庁舎移転のための条例改正には、議会において出席議員の3分の2以上の同意が必要です。しかしながら結果は1票足りずに否決となりました。その後、本庁舎は移転せずに、建物の改修による庁舎整備と旧角館総合病院の解体を行う案を提出し、可決いただきました。
小田 公共施設の統合は住民感情が深く関わってくることから、合理的な理由だけでは進みません。慎重に議論をされている様子が窺えます。
田口市長 私は田沢湖地区の出身です。ですから、田沢湖地区で庁舎機能の移転に関する住民説明会を開いたときには、「裏切りだ」と怒号が飛び交いました。一方で角館地区の住民説明会では拍手喝采が起きるなど、合併から19年たっても地域間の心の隔たりは大きいと実感しました。私はどこの地区かは関係なく、仙北市の代表としてこの問題に決着をつけたいと思っています。
小田 田口市長の腹の括り方に頭が下がります。
田口市長 客観的に見て、この問題解決を進められるのは田沢湖地区出身の私しかいないと思っています。角館地区か西木地区出身の市長が同じことをすれば、地域分断につながるでしょう。覚悟を決めてやるしかないです。
時間は待ってくれません。旧角館総合病院の解体を先延ばしにすればするほど、解体費用がどんどん嵩んでいきます。私が掲げる市政理念は「幸福度全国No.1のまちづくり」です。負の遺産を子どもたちに残した状態で、幸福度全国No.1を目指すというのは大きな矛盾です。正直なところ針のむしろの上に座っている感覚ではありますが、逃げずに腹を括って取り組む次第です。
(第2回に続く)
※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年10月21日号
【プロフィール】
田口 知明(たぐち・ともあき)
1970年生まれ。旧田沢湖町小保内(現仙北市田沢湖小保内)出身。民間企業の代表取締役や専務を経験したのち、2021年10月に仙北市長選挙に立候補。当選し、仙北市長に就任。
趣味は温泉旅行、座右の銘は「奮励努力」