秋田県仙北市長・田口知明
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事・小田理恵子
2024/12/4 責任世代として、良い状態の故郷を次世代に~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(1)~
2024/12/5 責任世代として、良い状態の故郷を次世代に~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(2)~
2024/12/10 「幸福度全国No.1のまちづくり」を~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(3)~
2024/12/12 「幸福度全国No.1のまちづくり」を~田口知明・秋田県仙北市長インタビュー(4)~
辛辣な意見も前向きに受け止める
小田 田口市長のように腹を括ってくださる首長がいるということは、地域にとってとても価値のあることだと思います。
田口市長 24年1月の市の広報に、「逃げない、隠さない、噓をつかない」という三つの誓いを書かせていただきました。この言葉は、私が尊敬している中貝宗治前兵庫県豊岡市長がおっしゃったことからお借りしました。豊岡市が豪雨災害に直面した際に、中貝前市長が職員に対して訓示した言葉だと聞いています。
この言葉を表に出すことは自分自身を追い込むことになるのですが、それくらいの覚悟を持って市政に取り組ませていただいています。
小田 きっと応援する市民も多いと思いますが、行政には反対意見の方が届きやすく、存在感も大きいと思います。どのようにモチベーションを保っているのですか?
田口市長 もともと打たれ強い性格ではありますが、やはり怒号を浴びたときには多少のダメージを受けます。しかし、経営者時代の経験が私を下支えしてくれています
私はかつて祖父、父から継いだ木材加工の会社を廃業しています。借り入れの返済が非常に苦しく、各取引先に支払いの延期をお願いしたり、バンクミーティング(経営状態が悪化した企業に対し、取引先の金融機関が一堂に集まり今後の方針について確認、同意をする会議)に出たりと相当追い込まれました。
今も少し後遺症がありますが、顔面麻痺で顔の右側が全く動かなくなるほどのストレスを体験しました。ですから、議会や住民説明会で何を言われようが、あの時の辛い体験に比べれば軽いものだと思えます。
私が市長を務めている目的は、自分自身の実績を挙げたいとか、再選を目指したいといったことではありません。故郷である仙北市が直面している課題を一つでも解決して、未来を担う世代に少しでも改善した状態のまちを渡したいという思いが第一です。
辛辣な意見は、市政に関心を持っているからこそ出てくるものだと思います。前向きに受け止めるようにしています。
責任世代としての覚悟
小田 私から見ると、首長は一国一城の主のような存在です。田口市長のように、地区に関係なく市全体をワンチームと捉えて粉骨砕身してくださる首長であれば、市民の皆さんも安心して市政を任せられるのではないでしょうか。
田口市長 ありがとうございます。私は20年12月に会社を廃業して、翌年の10月に市長に就任しました。就任までのプロセスとしては珍しい方ではないかと思います。
市長選挙で戦った候補者は2人いましたが、2人共ベテランの県議、市議でした。一方で私は政治の「せ」の字も知りません。後援会はどうやってつくるのか? といったところからのスタートでした。なおかつコロナ禍だったこともあり、人を集めたり、どこかの集会に顔を出したりする機会もありませんでした。商売をされている方の間では多少知られてはいましたが、自宅がある田沢湖地区以外での知名度は低く、厳しい選挙戦でした。
しかし最終的には私の覚悟や地域への思いが何とか伝わったのか、市民の皆さんに市長に押し上げていただきました。この期待に対して、しっかりと応えていく次第です。
市長選の出陣式は廃業した木材加工場で行った(出典:田口ともあき公式YouTube)
小田 選挙戦の最中に、風向きが変わったと感じたのはどんなときでしたか?
田口市長 選挙戦が後半に差し掛かった頃に、私の選挙カーを見た子どもたちが走って来て手を振ってくれたり、車で擦れ違いざまに笑顔を向けてくれるドライバーが増えてきたりしました。このときに、何かが変わってきたと感じました。
小田 子どもたちからも反応があったのですね。
田口市長 選挙戦に入る前に辻立ちをしていました。その際、青いウインドブレーカーを着ていたのですが、サイズが小さく一番上までジッパーが上がらなかったので、前面を少しだけ閉めた状態で立っていました。その様子を見た子どもたちの間で「ドラえもんが立っている」という噂が流れたそうです。子どもたちには予想外の形で人気を得ました。
小田 思わず笑ってしまいました。
選挙戦での街頭演説をYouTubeで拝見しましたが、初めて政治の世界に飛び込む方とは思えないほど滑らかなお話しぶりでした。これも経営者の時代に培ったスピーチ力なのでしょうか。
田口市長 自分自身では口下手だと思っていますが、確かに経営者時代の経験が生きているかもしれません。経営者は、会社が大変な状況のときにこそ姿勢が試されます。下を向いてため息をついていては会社がダメになるので、噓でもいいから元気を出す必要があります。
小田 私はインタビューに臨む前には、可能な限り首長の動画を見るようにしています。田口市長の演説はご経験がすでにある方のようでした。
田口市長 自分の本心をそのまま伝えたにすぎません。ただし、あまり政治家色に染まらないようなものの言い方を心掛けています。あくまでも仙北市の代表という立ち位置でいるつもりです。
小田 その率直な言葉が市民の皆さんの心をつかんだのでしょうね。
田口市長 年齢も関係していると思います。市長選に立候補した当時、私は51歳でした。他の候補者は60代後半から70代でした。年齢が全てとは言いませんが、やはり責任世代である40〜50代がそろそろ矢面に立つタイミングだろうと私自身は思っていましたし、同じ考えで投票してくださった方もおそらくいただろうと思います。人生の先輩方が努力して築いてきた地域です。それを次の世代につなぐために、先頭に立ちたいと思い市長になりました。
小田 今回は田口市長の覚悟が端々から感じられるインタビューでした。難題からも目をそらさずに向き合い、粘り強く解決策を模索する姿には頭が下がります。
次回のインタビューでも、田口市長の「経営者視点での采配」に深く迫りたいと思います。
(第3回に続く)
※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2024年10月21日号
【プロフィール】
田口 知明(たぐち・ともあき)
1970年生まれ。旧田沢湖町小保内(現仙北市田沢湖小保内)出身。民間企業の代表取締役や専務を経験したのち、2021年10月に仙北市長選挙に立候補。当選し、仙北市長に就任。
趣味は温泉旅行、座右の銘は「奮励努力」