職員の個性と自由な発想を尊重~楠瀬耕作・高知県須崎市長インタビュー(1)~

高知県須崎市長 楠瀬耕作
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2023/05/16 職員の個性と自由な発想を尊重~楠瀬耕作・高知県須崎市長インタビュー(1)~
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「市長の人柄に惹かれて集まってくる方が多いと感じています」

本インタビュー(写真1)の開始前に、高知県須崎市の職員の一人がこんなことをおっしゃいました。楠瀬耕作市長との関係性の良さが表れた一言に、お話を伺う楽しみが増えたと感じました。

高知県の中西部に位置する人口約2万人の須崎市では、将来の人口減少を見据え、地域振興や人材育成、インフラの共同化といった取り組みが行われています。

特筆すべきは冒頭で触れたように、楠瀬市長と職員の良好な関係性です。本稿をお読みいただければ、職員が自由に発想できるよう、それぞれの個性を受け止めて、下支えする市長の姿勢が感じられるでしょう。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

写真1 楠瀬市長(上)へのインタビューはオンラインで行われた(出典:官民共創未来コンソーシアム)

 

民間から政治の世界へ

小田 まずは就任までの経歴を伺います。

楠瀬市長 以前は民間企業に勤めていました。タクシー会社の社長や地元のケーブルテレビ局(旧須崎ケーブルテレビ、現よさこいケーブルネット)の取締役を経て、2012年に市長に就任しました。

 

小田 商工会議所の副会頭も務めていたと伺いました。

楠瀬市長 須崎商工会議所の副会頭は、07年11月から11年9月まで務めました。同時期に市の行政改革委員長も兼任していました。

 

小田 それだけ地域に密接に関わっていたのであれば、就任前にさまざまな地域課題を把握されていたのではないかと推察します。

楠瀬市長 青年会議所にも所属していましたが、まちの活気が徐々になくなり、寂しさを感じていました。人口減少で各団体のメンバーが減り、イベントを企画するにしても人員や予算が足りないといった問題が付きまとうようになりました。

 

小田 民間から政治の世界に入ったきっかけは何だったのですか?

楠瀬市長 当時の副市長から立候補を薦められたのがきっかけです。ケーブルテレビ局の開設と経営に携わったことを評価してのことでした。20年ほど前の須崎市は民放テレビが2局しか映らず、プロ野球の日本シリーズさえ見ることができませんでした。そこで地域住民にもっと多くの情報を届けようと、市に働き掛け、第三セクターでケーブルテレビ事業を始めました。

私はその創業メンバーの一人です。タクシー会社の社長を務めながら取り組みました。人口が少ないため、ケーブルテレビの経営は難しかったです。創業メンバーは各自が出資し、ほぼ無給で働きました。10年ほどかけて経営の土台ができた段階で、当時の副市長から声を掛けられました。

 

小田 声を掛けられたとはいえ、立候補に至るまでには決意が必要だったと思います。

楠瀬市長 やはり最初は悩みましたが、タクシー会社の仕事は後任に安心して任せられましたので、思い切って飛び込んでみようと考えました。

 

課の名称を変え、意識付け

小田 就任時、庁内組織にどのような印象を持ちましたか?

楠瀬市長 第三セクターとしてケーブルテレビ局を立ち上げる段階から、行政とはさまざまな関わりを持っていました。当時、県外から放送電波を持ってくることに対して地元の民放テレビ局が大きく反発し、協議が整わずに総務大臣裁定にまで至りました。総務省は民間企業の意向をくむ傾向があります。ですから裁定の結果、放送が実現しないテレビ局もありました。

一つでも多くの局を見られるようにと取り組んできたわれわれにとって、非常に残念な結果でした。役所という組織は、民間の力に大きく影響されることもあるのだと感じました。

市長になり、庁内に入ってみて感じたことは、職員に余裕がないということと、条例や規則に縛られ、住民への柔軟な対応ができていないということでした。

例えば環境部門の職員は、ごみ収集の現場に出て作業を手伝ったり、ごみの管理を担ったりしていました。そうした現場作業がいろいろな分野で行われていると、政策の立案や実行に充てる時間が捻出できません。

また、自分たちで実態を把握したり考えたりすることも苦手だという印象を持ちました。住民への対応力を高めるためには、調査や分析を外部任せにするのではなく、自ら汗をかきながら情報収集することが大切です。特にこれからを担う若手職員には、そのような意識付けが必要だと感じました。

 

小田 どのような働き掛けを行ったのですか?

楠瀬市長 財政的に厳しいものがありましたから、大きな予算を投下するような取り組みは行いませんでした。まずできることとして、課の名称を変えました。例えば「商工振興課」を「元気創造課」にするといった具合です。肩書で用いる表現を変えることで、職員一人ひとりの意識や課全体の雰囲気を変えていこうという狙いがありました。

また、やる気や能力のある職員がそれらを最大限に発揮できるよう、企画系の部署に異動させたり、事業を任せたりしました。庁内にはいろいろな人間関係がありますが、前向きでパワーのある職員が壁を破ってくれます。すべては職員の力です。

 

小田 よく耳にするのが、幹部職員と若手職員の仕事観の違いです。幹部は業務分掌に従い、それをしっかりこなすのが仕事だと捉える傾向がありますが、若手は課題に対して試行錯誤しながら新しい事業を立ち上げることも仕事だと考えています。その様子が幹部からすると、仕事をせずに遊んでいるように見えることもあるそうです。須崎市では、そのようなギャップはありませんでしたか?

楠瀬市長 部署によって、ばらつきがあります。自由闊達に意見を交わしているところもあれば、これからだと感じるところもあります。組織はすぐに変わるものではありませんから、徐々に双方の理解が進めばよいと思っています。

 

小田 楠瀬市長の穏やかな話しぶりから、職員との心の距離も近いのではないかと想像しますが、フランクにコミュニケーションすることもあるのですか?

楠瀬市長 職員とお酒を飲みに行くことは時々あります。私はお酒が好きで、特に「ホッピー」(ビール風味の飲料)をよく飲むのですが、職員にも勧めたところ、冗談で「市長のホッピー(アルコールハラスメント)には気を付けろ」と言われるようになってしまいました。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年3月27日号

 


【プロフィール】

高知県須崎市長・楠瀬 耕作(くすのせこうさく)

1960年生まれ。高知県土佐市出身。東京経済大経営卒。東京の部品メーカーや同県須崎市のタクシー会社に勤務。タクシー会社の社長時代に地元ケーブルテレビ局の開設に尽力。須崎商工会議所副会頭などを経て、2012年2月須崎市長に就任。現在3期目。

 

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