「土徳」が人を支え、まちをつくる~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(1)~

富山県南砺市長 田中幹夫
(聞き手)一般社団法人 官民共創未来コンソーシアム 代表理事 小田理恵子

 

2023/08/30 「土徳」が人を支え、まちをつくる~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(1)~
2023/09/01 「土徳」が人を支え、まちをつくる~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(2)~
2023/09/05 言葉を重ね、「一流の田舎」を目指す~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(3)~
2023/09/08 言葉を重ね、「一流の田舎」を目指す~田中幹夫・富山県南砺市長インタビュー(4)~

 


 

「南砺市に人が集まるのは『土徳』があるからだと思います」

富山県南砺市の田中幹夫市長に市の魅力の源泉について尋ねると、そんな答えが返ってきました。県の南西端に位置する同市は人口約4万7000人、面積の約8割を森林が占める自然豊かなまちです。2004年11月に城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福野町、福光町の4町4村が合併して誕生しました。

1995年に世界文化遺産に登録された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」がある五箇山エリア、「彫刻のまち」と呼ばれる井波エリアなど、各地域が独自の魅力を磨き上げています。これら観光資源の活用に加え、子育て環境の充実や商工業・地場産業の振興など、包括的なまちづくりに取り組む同市は、2019年に内閣府の「SDGs未来都市」にも選定されています。

そんなまちのリーダーである田中市長のインタビューでは、冒頭に紹介した「土徳」の他にも、今後の地方創生に欠かせないキーワードが多く登場します。この機会にそれぞれの言葉が持つ意味を改めて考えていただければと思います。(聞き手=一般社団法人官民共創未来コンソーシアム代表理事・小田理恵子)

 

写真1)田中市長(上)へのインタビューはオンラインで行われた(出典:官民共創未来コンソーシアム)

 

 

人が集まるのは「土徳」があるから

小田 南砺市の各エリアを調べてみると、それぞれに特色があり、キーパーソンが存在していることが分かります()。例えば「演劇の聖地」である利賀エリアには演出家の鈴木忠志氏(注1)が、彫刻職人の集まる井波エリアには建築家の山川智嗣・さつき夫妻(注2)が住んでいます。東京や世界で活躍していた人物が南砺市に移住するには理由があると思うのですが?

田中市長 南砺市に人が集まるのは「土徳」があるからだと思います。「土徳」とは、富山県の南西部に古くから伝わる概念で、その土地ならではの精神性とも呼ぶべきものです。身の回りの豊かな自然や人々に感謝し、支え合うことで生まれる温かみが積み重なり、土地全体の大きな力になるといったイメージです。

版画家の棟方志功が戦時疎開でこの地に移り住んだときにも、地元の人々や風土に触れ、作品に対する考え方が大きく変わったと聞きます。「土徳」には人を応援したり、支えたり、成長させたりする力があるのです。

 

小田 地域の風土や、そこで生きてきた人々の精神などが歴史を重ねて積み上がり、それが人を惹き付ける力となっているのですね。

田中市長 南砺には、外から来た人を自然と応援する文化があります。私はこれも「土徳」の一部だと思っています。例えば、市内に拠点を構えるアニメ制作会社「P.A.WORKS」の設立時は、行政や住民が一体となってサポートしました。

20年には、ミシュランの星つきレストラン「L’évo」が利賀エリアにオーベルジュ(宿泊施設付きレストラン)として移転オープンしましたが、このときもオーナーシェフを皆で応援しました。料理に使う山菜やジビエ(野生鳥獣の肉)の地産地消をサポートしたのです。このように、外から来た人であっても壁をつくらずに温かく受け入れ、成功する姿を自分のことのように喜び、誇らしく思う風土が「土徳」です。

 

図 市の移住ガイドブックには各エリアの特色が紹介されている

 

小田 それだけ温かく受け入れてもらえたら、移住者もうれしいでしょうね。

田中市長 井波エリアに移住した建築家の山川夫妻は「こんなに良いまちは他にない」と、住民に伝え回ってくれました。そしてゲストハウス「Bed and Craft」の運営を始め、全国から人が集まるようになりました。彼らのおかげで、井波の住民は地域のポテンシャルに気付いたように感じます。山川夫妻は、まさに地域のキーパーソンです。

 

小田 「土徳」の精神を持つ地元住民の活躍事例もありそうですね。

田中市長 市の政策参与を務める南眞司医師もキーパーソンの一人です。彼は南砺市民病院の院長を務めていた時代から「地域包括ケアはまちづくりだ」との考えを持っていました。高齢化率が40%に迫る中、在宅医療や終末医療は住民の暮らしと切っても切り離せないものです。

また、住民同士が支え合いながら生きていく意識も一層必要になります。ですから南医師は地域包括ケアをまちづくりと捉え、地域の実情を見て回ったり、住民と積極的にコミュニケーションを図ったりしながら関わりを深めていきました。

19年には、まちづくりの中間支援組織と「南砺幸せ未来基金」を設立しています。このように熱量のあるキーパーソンが地域にいるのは、ありがたいことです。

 

注1=1976年に利賀村に本拠地を移し、合掌造りの民家を劇場に改造して活動を開始。82年から毎年夏に世界演劇祭「SCOTサマー・シーズン」(旧「利賀フェスティバル」)を開催している。

注2=「お抱え職人文化を再興する」をミッションに掲げる株式会社コラレアルチザンジャパンを経営。東京や中国・上海で活動後、井波エリアに拠点を移す。2016年、同エリアで「職人に弟子入りできる宿 Bed and Craft」をオープンした。

 

庁舎統合と小規模多機能自治

小田 田中市長は合併後に庁舎統合を実現しています。これは全国的にも難しい課題で、いまだに統合がかなわず、複数の庁舎の維持費を負担している自治体は数多くあります。どのようにして統合を進めたのですか?

田中市長 庁舎統合は私の念願でしたが、合併当初は庁舎を残す約束になっていました。役所の機能を四つの庁舎に分けて設置する分庁舎方式です。これは非効率だと思っていました。そこで、合併後のまちづくり計画の対象期間が10年から15年に延びたタイミングで、一つの庁舎に機能を集約させる統合案を打ち出しました。

もちろん最初は大反対の意見が湧き起こり、2~3年は白熱した議論が続きました。その様子を見て、私は「これを機に、住民がまちづくりを真剣に考えるようになるのではないか」と期待しました。確かに庁舎は地域のシンボル的な建物ではありますが、それがあるからまちが良くなるわけではありません。統合で庁舎がなくなるという出来事から、住民がそのことに気付くのではないかと思いました。

 

まさにそんなタイミングで「木彫刻のまち・井波」の歴史的魅力を語るストーリー「宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」が、日本遺産に選ばれました。それから井波エリアでは、まちづくりの機運が一気に高まりました。地域資産をどう活用するかという考えが住民の中に生まれ、新しい動きがどんどん出てきました。それが他のエリアに波及し、広がっていきました。この機運に乗る形で、合併から16年後の2020年に庁舎を統合しました。

庁舎を中心としたまちづくりか、庁舎よりも空き家を活用したまちづくりか。この議論は今でも行われていますが、庁舎統合を打ち出したことがきっかけとなり、住民が主体的にまちづくりを考えるようになったと思っています。

 

小田 まちづくりの中でもハードやインフラに関することは、自治体主導で行われるケースが多いのですが、南砺市の場合は住民も積極的に参画している印象です。

田中市長 5~6年前から住民自治の在り方が変わりました。「小規模多機能自治」を進めています。各エリアでまちづくりの方針や計画を考え、合意形成していただく形です。もちろん市の職員も伴走しますが、主導はあくまでも住民です。

小規模多機能自治を進める中で「地域づくり協議会」が各エリアにできました。これは自治振興会、公民館、社会福祉協議会など、地域のコミュニティーが一つになったものです。この事務局に対し、市は交付金を出してサポートしています。まちづくりの中間支援組織や基金も整っていることから、地域づくり協議会・行政・中間支援組織・基金の4者が連携する体制になっています。

 

第2回に続く

※本記事の出典:時事通信社「地方行政」2023年7月24日号

 


【プロフィール】

富山県南砺市長・田中 幹夫(たなか みきお)

1961年、富山県利賀村(現南砺市)生まれ。民間企業勤務を経て89年に帰郷し、利賀村職員となる。2004年南砺市議に初当選。08年南砺市長に初当選し、現在4期目。

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